明るい傘 菅沼亜由美のブログ

閲覧注意 NSFW ASD/ADHD/HSP 昔やっていたサイトの続きみたいなものです。意味のないことばかり書いています。

露出狂の遍歴

いちいち全体公開の場に書かなくていいことをわざわざ書いて露出欲を満たすのは、私の病気である。

それを始めたのは2018年の「小説家になろう(なろう)」においてだ。

なろうでは自分がどうしても持ってしまう差別意識をえぐるように書き、「私も同じ」という共感と、「そんなの書くな」という批判を受けた。なろうは2020年にアカウントを消した。

そして2020年のWIXブログ「ベルガモ」においても、自分の犯罪性愛(犯罪者に惹かれてしまう性的傾向)や、とあるナチ戦犯へのどうしようもない恋心などを綴った。「ベルガモ」は2023年ごろに閉鎖した。

そのブログをFBでシェアしていたせいか、反ナチの高名な画家やその仲間にFBでブロックされた。また、「このブログ自体が二次加害だ」と苦言を呈する友人もいた。しかし一部の友人は私のブログの内容に共感してくれた。

そして2023年から今にかけて、私はこのはてなブログで、自分をブロックした文芸評論家への愛憎を執拗に綴っている。これは二次加害であり、ストーキングであり、人権侵害である。その評論家の友人にもブロックされた。

なので黙っているのがベストだが、もしかしたら私の同類がこの文章を見つけて共感してくれるかもしれないとも思う。

まあ他の人が私と同じような投稿をしているのを見たら、自分の発言にお墨付きが与えられたような気分になる。それは被害者からすれば脅威だろう。被害者の方には酷いことをしていると思うし、正しくなれない自分が嫌だ。

精神科には通っているが、主治医から「ストーキングをやめなさい」と言われるたびに辛くなる。なので診察後しばらくは、辛さを感じないために、無感情状態になる。無感情にならないと生きられない、生きる資格がないと思うからだ。そして家に帰ってきたら大声で泣き叫ぶ。

カウンセリングや加害者更生プログラムを受けるなり、治療の努力をすべきだが、努力すればするほど苦しくなると思う。

しかし苦しいのは当たり前であり、その苦しみに耐えてこそ大人になれるのだと思う。しかし耐えられるかどうか。

私が好きな自分、というか自分の理想像は、「どんなに辛くても黙ってニコニコしている自分」である。

自分の辛さを押し隠し、周りのために必死でニコニコしている自分なら愛せる。自分の感情を周囲の事情に合わせて抑えられる私を愛する。言いたいことがあっても相手のために黙れる自分を愛せる。自分よりも他人を大事にできる自分を愛する。

でもそういう自分にはなれそうにない。辛すぎる。でもそういう人にならないとストーキングはやめられない。大人しくないと生存を許されないのだ。

 

こんな私にニコニコ笑顔で「ガーンバレ!」と言い放った人を、私は永遠に許さない。でも彼と絶縁したら自分の仕事がうまくいかなくなるので、ブロックはしない。できない。

 

まあとにかく今の彼氏を真似よう。今の彼氏は他人のために自分を抑えるのが得意だから、彼の真似をしよう。