つらい状況に慣れる、耐える
どうしても嫌なら黙って出ていく
相手にいろいろ求めない、許す、忘れる
他人に優しくするが他人に優しさを求めない
私は受動的・自己犠牲的でないと生存を許されないのだと薄々気づいてきた。
こうした人間の絶え間ない忍耐と飢渇が、薄情なマジョリティの栄華を下支えしている。
私は踏みつけられる側なのだ。
私だけが相手への思いやりを求められ、相手は一切私を思いやらない。私だけが相手に与え、相手は私に何も与えない。私は吸い取られるだけ。吸われ尽くして死ぬ。吸われることにマゾヒスティックな快感を覚えながら。
相手はそんな私を一切顧みず、どこかで勝手に幸せになる。私から得た養分を糧にしているのに、全く感謝しない。優しくしてもらって当たり前だと思っている。
あるいは、「俺は何も求めてないのにあいつが勝手に与えてきただけ」「愛されようとするのがキモい」「俺への関心をなくしてほしいのに」「お前に何されても嫌だ」とか不快感をあらわにする。
私はサイコパスの養分なのだ。
「お前が自分の意志で養分になってんだろ。それをやめろや」という批判もあると思う。その通りだ。でもなかなかやめられないから難しいのだ。私に絶対優しくしてくれない相手にも、優しくしたくなるのだ。