昨日(6/23)は沖縄慰霊の日だった。沖縄戦で亡くなったすべての魂のご冥福をお祈りする。
初めて沖縄に行ったのは2022年5月13日から17日。元彼を含む活動家仲間と共に訪れたのだ。
ちょうどあの頃は、ネットで大きなトラブルを起こし、相手から糾弾された直後で、私の心身はとても痛く辛かった。だからかもしれないが、当時のことを思い出して書くのが億劫だ。
しかし、書ける範囲で書く。
5/13
関空から那覇に到着。白い立派なテッポウユリの蕾や、色とりどりのハイビスカス、満開を迎えた月桃の花など、南国の植物に興奮した。
5/14
辺野古基地のそばの座り込み現場や、基地と砂浜を隔てるフェンス前に行き、フェンスの向こうからこちらを見張る米兵の物々しさに震え上がった。
辺野古の海辺には、白い菊や青い花、ユウナの黄色い花が咲いていて、とても美しかった。こんな美しい自然が、基地のせいで汚れるのは見ていられない。
5/15
仲間と車で移動し、嘉手納基地や佐喜眞美術館(沖縄戦の図)を見る。その後沖縄本土復帰(ヤマトへの再併合)記念式典反対デモに参加する予定だったが、疲労のため車の中で寝ていた。
夜は元彼とともに、那覇のライブハウス・チャクラに向かい、喜納昌吉さんのライブに参戦。
5/16
南部戦跡めぐり。
ひめゆり平和祈念資料館の前まで行ったが、戦跡の重苦しい雰囲気に押され大泣きしてしまい、資料館の中は見れなかった。でも資料館のそばの森のようなところに立派な蘭の花が咲いていて、蟻がたかっていたのが美しかった。
ひめゆり資料館は見られなかったが、平和の礎や慰霊の炎、礎のそばの沖縄県平和祈念資料館は見た。たくさんの島民が自殺した摩文仁の丘からの眺めが物悲しかった。
5/17
元彼の友人で喜納昌吉さんのお弟子さんの方の家に伺う。ソーキそばをごちそうになる。元彼と私は、その方の奥さまの車で那覇空港まで送っていただき、関空へ。
5/18
元彼と2人、未明に難波に着き、ネカフェに泊まる。朝に帰宅。
お土産は、平輪(へいわ)ちんすこう(嘉手納基地をかたどったちんすこう。基地なんか食べちゃえ! というわけ)と、『ジュニア版 琉球・沖縄史』、深沢潮さんの小説『翡翠色の海にうたう』、ガレッジセール・ゴリの初小説『海ヤカラ』、琉球新報社が発行した性教育の本『ココロ・カラダ 不思議つながり』。
あと、喜納昌吉さんのライブでギターを弾いていたウルファーくんの赤いピック。
そうそう、沖縄タイムスのFB投稿のコメント欄にネトウヨがわんさかいて、本当に気持ち悪い。今年の慰霊の日の直前に平和の礎の灯火が消えたのは、大雨のせいらしいが、奴らのせいでもあるのではないか? あんな奴らに負けてたまるか。