明るい傘 菅沼亜由美のブログ

閲覧注意 ASD/ADHD/HSP 昔やっていたサイトの続きみたいなものです。意味のないことばかり書いています。

今彼の正論に殴られた

今彼が朝鮮学校卒の在日なので、一緒に近所の朝鮮学校の秋祭りに行った。今彼はあいにく足を怪我していたが、私がどうしても今彼を同胞に会わせたいと思ったので、連れて行った。怪我している今彼には申し訳ないことをした。

そこでカラオケ大会をやるというので、今彼と私は一緒にエントリーしたが、私が「JPOPを歌いたい」と言うと、今彼は死ぬほど立腹し、「なめるな」と私を一喝した。「お前は俺たちのことをわかる気もないのだろう。知らないならちゃんと知らないと言え。知ったかぶるな!」と。

私は会場の机に突っ伏して泣いてしまった。朝鮮語の歌の中で完全に歌えるものは何ひとつないのだ。だから、カラオケへのエントリーはキャンセルした。

今すぐに会場から出ていきたいが、今彼は足を怪我しているので、出ていくなら彼と一緒に出ないといけない。

日本人は朝鮮人を支配し、泣かせてきたから、朝鮮人が日本人を支配したり泣かせたりする空間や瞬間もあっていいし、必要なのかもしれない。ミラーリングである。

今彼も元彼と同様、容赦ない人だ。私はその容赦ない試練と要求に耐えなければならないのだ。それができなければ、今彼から永久に軽蔑され、捨てられる。それは私が「生きる価値のない人間」になることを意味する。

今彼はお祭りを大いに楽しんでいた。ここが彼のホームなのだ。そして、私が俯いている様子を見てムカついていた。

私の周囲にはきつい人しかいない。たぶんこれは私自身がきつい人間だからだろう。仕方がない。

これを「ロジカルハラスメント(ロジハラ、正論ハラスメント)」なんて言ったら民族差別なんだろうな。とにかく黙って耐えること、従うことだ。

今彼に説教されて泣く私だって「エモーショナルハラスメント(エモハラ、感情ハラスメント)」の加害者ではないか。

ある程度の傷つき体験は許容するしかない。

私は死ぬほど朝鮮語を勉強しないといけないのだと感じる。そうして初めて、今彼と同じレベルに立てるのだ。まあ、そんな事が私に出来たらの話だが。

元彼は私に「マルクスを勉強しろ」と何度も命じた。しかし、私はそれほどマルクスに強い興味を持てず、得た知識も付け焼き刃でしかない。私が他のすべてを犠牲にしてマルクスを勉強すれば、元彼と同じになれたのかもしれないか。

今彼からも元彼と同じ雰囲気を感じる。

今彼と別れることも可能だが、今彼を支えたい、ダメンズのお世話がしたい、今彼のために料理を作って食べさせたい、今彼の性欲処理マシンでありたいと思うなら、ひたすら黙って耐えて従うしかない。

今彼と私の関係は、相互理解でなく、相互支配だ。私たちの間には相互支配しかありえない。

もはや私は彼を愛していない。心の奥の真実を見せても理解されず、こちらの弱みを容赦なく突き刺され、傷つく一方だからだ。私と今彼は利害関係でつながっているだけだ。私に彼への愛はない。

私は支配-被支配の関係しか知らない。対等な関係を全く知らない。自分の差別性や傲慢さや勘違いを思い知らされるたびに死にたくなる。引きこもるしかない。

 

カラオケ大会が進み、当日エントリーした人が歌う番になった。司会の方が「日本の歌もOKです」とおっしゃったので、私ははっと元気を取り戻した。そして、今彼に、「一緒に歌いましょう」と誘いの言葉をかけた。

しかし、今彼は、とても機嫌が悪そうだった。

私はついに、群衆の中の孤独と、今彼の怒りに耐えられなくなり、大声で泣き叫んで会場から出ていった。

叫びながら歩いていると、朝鮮学校の女性スタッフさん2人がやってきて、私を慰めてくださった。私達は道端に座った。

私は、「私が日本の歌を歌いたいと言ったから、今彼に『ここは朝鮮学校なんだから朝鮮の歌を歌え』と怒られた。本当に怖かった」と自分のつらさを訴えた。そしてついには大声で泣いてしまった。

女性スタッフさんは、「日本の歌も歌っていいよ。朝鮮学校の子どもたちは日本の歌も習ってるから。でも、彼氏さんの配慮も嬉しい。誰も悪くないよ」と慰めてくださった。

そこに大柄な男性もやってきて、女性スタッフさんから事情を聞いていた。

すると、道路の向かいに、今彼の姿が見えた。男性が今彼を私のところに呼び寄せ、4人で話をした。

今彼は私に、俺は怒っていない、君を愛している、と言った。女性スタッフさんも、「彼氏さんはいい人だ、彼氏さんに朝鮮の歌を教えてもらったらいい」と喜んだ。

私は少し嬉しくなって、気を取り直した。そして、女性2人と男性1人と別れ、タクシーを呼んで、今彼と一緒に乗り込み、家に帰った。

タクシーの中で、今彼に怒りをぶつけられた。

「君がどうしてあんなに機嫌が悪くなったのか理解できない。『あ、そうですか、わかりました』と納得してそれでおしまいだろうが。朝鮮学校まで連れてきたのはお前だろう。俺が楽しんでる横で泣きやがって。

あの女性たちは、誰かに『行ってこい、様子を見てこい』と言われたんだ。自分たちの仕事をほっぽり出して、お前のために行ったんだ。その分彼女らは仕事ができなくなったんだぞ。お前にはプライドってもんがないのか? 辛くてもその場では堪えて、家に帰った後で、誰にも聞こえないように泣くのが普通だ」

帰宅後、今彼からまた正論をぶつけられた。

朝鮮学校は君のホームじゃない。アウェーなんだ。俺の場所なんだ。困ってる人を助けたいから、かわいそうな人がいるから、朝鮮学校に行くというのか。バカにするな。俺には誇りがあるんだぞ」

私は、自分の中の差別心を容赦なく突き刺され、すぐに寝込んでしまった。

これから何度も何度も、今彼含む他者に容赦なくお説教されて、私はそのたびに泣いて、相手は怒って、それからなんとか仲直りしたりしなかったりするのだろう。

人生というものがこの繰り返しであるなら、到底耐えられない。他人とぶつかり合うことに耐性を持ち、自分の苦しみや悲しみを我慢し、常に変わり続けなければ、生きていけないだろう。

覚悟。覚悟がほしい。ずっとこの繰り返しを生きる覚悟。今彼に怒られ続ける覚悟。被害者ぶらない覚悟。

 

正直別れたいのだが、そんなことをしたら今彼にとても恨まれそうだ。「せっかく俺は茨城から大阪まで来てやったのに!」と。

しかし、もう今彼への情けも縁もきっぱり捨ててしまうしかないのかもしれない。

私には、こういうきつい男性にばかり惹かれてしまう傾向があり、「犯罪性愛(犯罪者や残酷な人間への愛)」と地続きだと思う。

強い子供を産みたいがために、残酷な男に「強いオス」の匂いを嗅ぎつけ、寄っていくのだ。

しかし、彼をロジハラ男呼ばわりしたら民族差別になりそうなので、とても怖い。

殴りつけられた痛みさえも快感に変える心のシステムが必要だ。それがマゾヒズムだ。

 

今彼は全く悪くなく、むしろとても正しいのだが、彼にガツンと言われたせいで、朝鮮学校に行くのがとても怖くなった。

針の筵にわざわざ行くのは気が引ける。行かなかったらいい話だが。

ある程度怖気づいたほうが今彼やその同胞の方たちに敬意を払える気がする。しかし、私が怖気づくことを朝鮮学校の方々が望むかどうかは分からない。むしろ悲しむのではないか。

今彼からは元彼と似た気質を感じる。とてつもなく剛毅で、弱い人が嫌いである。今彼も元彼も、社会から死ぬほどいじめられて、それに負けないように強くなって、私のような弱い者を殴りつけるようになったのだろう。

私を殴りつける行為そのものが、「自分は強者だ」と確認し、プライドを満たすための行為なのだと思う。

まあ、生っちょろいヤマト人を、朝鮮人がぶん殴ること自体が、一種の偉業ともいえるが、こう感じるのは私が過激派でマゾヒストだからだろうか。

 

大阪弁至上主義者で、いつでもコテコテの大阪弁をしゃべり、東京弁を強く拒否する元彼は、きっと今彼を支持するはずだ。黒人人権活動家マルコムXの「おれはブラックコーヒーが飲みたい」という言葉を支持していたから。

また、「アイヌ語の復興」「日常会話で常にアイヌ語を使う社会」を目指す和人研究者Tも、今彼に理解を示すはずだ。

マルコムが求めるのは純度100%のブラックであり、元彼が求めるのは純度100%の大阪であり、Tが求めるのは純度100%のアイヌであり、今彼が求めるのは純度100%の朝鮮なのだ。

私はその聖域に「ミルク(白人的なもの)」「東京弁」「日本=和人的なもの」という不純物を持ち込む極悪人なのだ。

マルコムや元彼やTや今彼を「過激派」認定して遠ざけることは簡単だが、彼らにも彼らなりの切実な正義があるのだと理解すべきかもしれない。

しかし、私が彼らの正義に寄り添うということは、多大な自己犠牲を必要とする。そしてそれが世に言う「洗脳」「DV」なのだと思う。

私が気弱で、他人に影響されやすいから、彼らは私に安心して自分の気持ちをぶつけることができるのだろう。

自分がこれから彼らとどう向き合っていけばいいのか、分からない。彼らの聞き役、怒りの矛先としての役割に徹すればいいのかもしれないし、自分の身の安全を最優先にして逃げるのもいいかもしれない。

耐えるのも逃げるのも、生存戦略。どちらの道も開かれている。

 

2024.12.12追記

ところで、彼が朝鮮学校で日本語の歌を歌おうとした私を怒鳴ったのは、彼自身が朝鮮学校の生徒時代に、学内で日本語を厳禁され、もし一言でも喋ろうものならひどく罰せられた、という理由もあります。

だからこそ、彼は朝鮮学校で無神経にも日本語の歌を歌おうとする私に強く嫉妬したのでしょう。

自分が絶対に得られなかった幸せを、私がいとも容易く得ようとしたからです。