相手が自分に関心を持たないなら、自分も相手に関心を持たないべきだ。
無関心には無関心を返さないと、むなしい片思いやストーキングを続けることになる。ストーキングとは暴力的で侵襲的な片思いと言えそうだ。
片思いをしない習慣、拒否されたら拒否し返す習慣を身に着けたい。
それはすなわち、関心には関心を、愛には愛を、歓待には歓待を返す習慣を身につけるということだ。自分を愛してくれる人とだけ付き合うということだ。
当たり前過ぎて唖然とするが、私はそれが出来ないから苦しんできたのだ。
これは他人から受けた反応を自分が返すという意味であって、「私はあんたに関心を持ってるんだから、あんたも私に関心を持て」と強要することではない。相手が自分に関心を持たないなら、自分もそれに合わせるしかない。
強すぎる我欲を抑え、他人に合わせる習慣を身に着けたい。心身の中庸を保ち、他人を尊重するためには、まず自分が満たされている必要がある。
自分を満たす方法として、SNSをやめるという方法がある。肝心なのは、やめ続けることである。私にはなかなかそれが難しくて、「つながり」を求めてまた始めてしまう。
しかし、「つながり」には良いつながりと悪いつながりがある。つながるツールを初めから持たなければ、悪いつながりも結びようがない。
初めから言葉が喋れなければ、言葉で人を傷つけることがないのと同じだ。
SNSをできないことも、言葉を話せないことも、とても苦しくて満たされないことだ。しかし、だからこそ、防げる加害、避けられる苦難もあるのだ。
まあ、あっちを立てればこっちが立たずで、難しい。
私にとって、片思いを自分に禁じることは、オナ禁と同じくらい凄まじいことだ。もう、なんというか、ある程度の片思いや、失敗や逸脱は許容したほうが良い気がする。