私がたびたび話題にしている某文芸評論家氏は、アイヌ問題や人権問題に向き合った作家や詩人(向井豊昭や小熊秀雄など)を高評価している。
・向井豊昭の闘争
・向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ
・向井豊昭小説選 骨踊り
たしかに、向井も小熊も、「ヤマトの加害性に向き合い、文学を通して闘った」という点では、良い芸術家である。それは確かだ。
しかし、彼が「佳品だが作りが粗く問題がある」と見なす作品の中にも、彼の指摘する「問題」なんて無視して褒めたくなるものが結構あった(例えば崔実『ジニのパズル』や、市川沙央『ハンチバック』)。
・ジニのパズル
・ハンチバック
もしかすると彼は、ポリコレっぽい作品しか読みたくないのかも。マイノリティが出てきて、差別と戦う話、正論で作られた作品、論理的・倫理的に穴のない作品だけが読みたいのかも。
けどまあ、『ジニのパズル』『ハンチバック』も、マイノリティの主人公が差別と戦う話なので、見方によっては「ポリコレっぽい」作品だ。でも、それだけではない熱情がある。
また、彼がベタ褒めする向井豊昭だって、『骨踊り』や『ヤパーペジ チセパーペコペ イタヤバイ』で、ヘテロ男目線のいやらしいエロを開陳していたりする。そういう面では「ポリコレっぽくない」。
小熊秀雄に関してはあまり作品を読んでいないので、彼については今のところ語れない。
彼は、優れた物語に心を揺り動かされる経験をしたとしても、それをぐっと抑えて、作品に空いた論理的・倫理的な穴や、詰めの甘さを気にして突っつく人なのかも知れない。鬱陶しくて気持ち悪いな。注文の多い美食家みたい。まあそういう批判だって、誰かがしないといけないものなのかもしれないが。
その癖、向井豊昭や西村賢太の作品の中の、男目線のいやらしいエロは放置する。そういうの好きなのか。私は西村の『苦役列車』を読み始めてすぐ、男目線のいやらしいエロに犯され、それ以上読めなくなった。
彼は文学や人間というものを、あまりに狭く捉えすぎている。「人間たるもの、文学たるもの、論理的・倫理的に正しくないといけない。でも男目線のエロは好き」と思っていそうだ。彼の詩はヘテロ男目線のいやらしいエロを乱発している。
同じノリで、職場の人間にもパワハラを平気でしていそうだ。「内容が正しければキツく言ったっていい」だなんて、彼には人の心があまりないのではないか。セクハラも案外しているかもしれない。
彼はそんな人間だから、私が自身の犯罪性愛について綴った血の滲むような文章を、全力で貶したのだろう。
犯罪性愛には、ポリコレの欠片もない。不道徳で不潔だ。また、私の文章には欠点や詰めの甘さがたくさんある。でも、だからこそ、多様な人間の姿を現すことができるのではないか。
ポリコレからこぼれ落ちるもののなかに、人間の真実があると思うのだが、彼にはそれがわからないようだ。貧しい人。
彼は道徳の教科書になるような話しか読みたくないのだろう。不道徳で不潔なものなんてそれだけで価値がないと決めつけるのだから、気持ち悪いことこの上ない。その癖ヘテロ男目線のエロは許容する。あれこそ本当に不道徳で不潔なものではないのか。
彼こそ不道徳で不潔で、愚かで浅い人間だ。
彼は萌え絵を全力で貶して弾圧するくせに、めちゃくちゃ卑猥な詩を書きまくっている。それに、ゲームやSFにおける女性キャラの衣装が無駄にエロいことについては不問に付す。
また、ロリコンを目の敵にしておきながら、娘さんの写真を全世界に公開し、ロリコンのオナペットを自ら進んで提供している。
自作の詩の朗読で「障害者を殺すな」と叫びながら、私という発達障害者を正論で殴りつけ、自殺寸前まで追い込んだ。
こんな者がどうして、徒党を組めるのか。権力を持てるのか。文学研究者を名乗れるのか。わからない。こういう人間が権力を持たないような工夫が必要と感じる。
彼はただ自分の無知を隠すために、難解な言葉でゴテゴテうわべを飾っているだけに過ぎない。詩を朗読するときの声も、カッコつけていてみっともない。ただのナルシストだ。
私はあんたの本当の顔が見たいんだ。見せろよ。きっとみっともないとっつぁん坊やなんだろうけど。そうだとしても、いや、もしそうなら、よしよししてあげる。
あんたの本当の声が聴きたい。ゴテゴテ飾るな。気持ち悪いぞ。
どんなに善人ぶっていようと、誰もが不道徳で不潔な存在なのだ。そのことを自覚しないと、どうしようもない。