明るい傘 菅沼亜由美のブログ

閲覧注意 NSFW ASD/ADHD/HSP 昔やっていたサイトの続きみたいなものです。意味のないことばかり書いています。

「フェチ」と差別

アイヌが好き」「発達障害者が好き」「朝鮮人が好き」「頭のはげてる人が好き」「身体欠損の人が好き」

これらは全部「フェチ(好み)の表明」であるが、「差別」「オリエンタリズム」「珍獣扱い」でもある。

例えば、私の好きな人の中に薄毛の人がいる。過去にネットで「ハゲ」と罵られたその人を元気づけるつもりで、私は「あなたのその髪型が好き。街なかであなたと同じような髪型の人を見かけると、嬉しくなる」と言ったのだが、相手はすごく不愉快な気分になって、「次そんなこと言ったらブロックするからな」と怒っていた。

自分が善意で言った言葉でも、いろいろな受け取り方をする人がいるから、これからは言わないように気をつけたい。

まあ、「はげてる人が好き」とか、「身体欠損の人が好き」というのは、当事者のいないところで表明すべきだ。だから、pixivなどで身体欠損の人の絵を投稿する人は、はじめに「身体欠損あり」と注意書きをして、ゾーニングしているのだ。そういう配慮を見習いたい。

 

また、前の前の彼氏であるKは、「朝鮮人が好き」「中国人が好き」「被差別民が好き」「アイヌが好き」と言って憚らない男だった。要するに、マイノリティを珍獣扱いしてやまないのである。

Kは、かの悪名高き「人間動物園」を喜んで鑑賞する近代人と何の変わりもない。こんな奴が「人権活動家」をやっているのだから唖然とする。

その一方、Kは、知的障害者身体障害者については「見た目が悪いから嫌いだ」と発言していた。また、発達障害の私が朝起きられないと、「はよ起きろ。これやから発達障害はあかんのや」と説教してきた。K自身も精神障害者なのに……。

また、東京人に関しては、「あいつらは土人や」と明確すぎるほどに憎悪と蔑視を表明していた。関西人にしては過激すぎる。東京人を「土人」呼ばわりするのは、関西人(畿内人)による関東人(坂東人)差別であり、アイヌ蔑視にもつながる。

 

また、先日別れた在日の彼氏Pは、私が家の中で落ち着きなくうろうろするたびに、微笑しながら、「多動だなあ」とつぶやいていた。彼も私と同様発達障害であるが、多動の症状はない。

私は彼に「多動だなあ」と言われたとき、彼に怒られていると思ったが、そうではなかったようだ。彼は私を「愛でて」いたようである。しかし、その「愛でる」という行為そのものが、オリエンタリズムである。

Pは自身のSNSに、「新しい彼女(私)が家の中でうろちょろしたり、変な笑い方してるのがかわいい」いう内容の投稿までした。これを「珍獣扱い」と呼ばずして何と呼ぼうか。

私がPに、そういう投稿をやめるようにお願いしたら、一応Pは私に批判された投稿を消したが、後で「言論弾圧だ」と反論してきた。その後も彼は、私を「珍妙なもの」として愛でる投稿をSNSで続けた。

PもKと同様、本当に気持ち悪かった。

そんなPも、朝鮮人アイヌに対して無神経な言動をしてしまった私に対して、「俺たちを舐めるな。他民族を自己肯定のためのズリネタにするな。『他民族を支援してる私偉い』なんて思うな。もう朝鮮人にもアイヌにも関わるな」と鋭く批判した。

大和民族の私は、朝鮮人アイヌに対して、オリエンタリズム的な目線を向けているのである。在日の当事者からの容赦ない批判として重く受け止めたい。

他民族に対する「適度な畏れ」は、とても大切なのかも知れない。畏れすぎてもよくないのかも知れないが、馴れ馴れしすぎるのも問題だ。

 

だからもう、「マイノリティが好き」という言葉自体、危険なのかも知れない。

でも、「白人が好き」「大和民族が好き」「健常者が好き」「シスジェンダーが好き」というのも、れっきとした差別である。

「マイノリティ/マジョリティが好き」というか、「〇〇が好き」という言葉自体が、差別なのかもしれない。

これについてどう対応すればよいのかは、私にはわからない。難しすぎる。