私は常々、「能力の低い発達障害者を一番虐めるのは能力の高い発達障害者である」と思っていますが、それは、私の狭い経験だけに基づく偏見かもしれません。
私個人の印象では、定型発達者の方は、「オブラートに包んだ言い方」ができますが、発達障害者の方は単刀直入に私への嫌悪をあらわにする傾向があるので、とても怖いです。
まあ、私自身もはっきり言ってしまうほうなので、人のことは言えません。私も「オブラートに包んだ言い方」を身に着けたいです。
子供の頃は、定型だろうが非定型だろうが、歯に衣着せぬ物言いをするものなので、小中学校では大変いじめられ、苦労しました。
支援学校高等部では、いじめの絶対数は減りましたが、知的障害のなさそうな生徒から、結構キツいお説教を喰らいました。
私が精神不安定になって泣き叫んでいると、比較的障害の軽い他の生徒から「菅沼落ち着けボケ!」と怒鳴られたことがあります。
また、家庭科の時間に、同じく知的障害のない発達障害の生徒から「あの人(=菅沼)嫌い!」と聞こえよがしに言われました。
また、大人になってから付き合った2人の彼氏は、2人とも発達障害の傾向があり、私によくお説教してきました。
朝起きられないことや、ストーキングをやめられないことに関して、容赦なくお説教してきて、私は泣いてしまいました。
なので、今では、「私にキツいお説教をする人はもしかしたら発達障害者かもしれない」という偏見まで抱いてしまいます。
まあ、「オブラートに包んで」遠回しに言われるのもなかなか嫌な気分ではありますが、だからといって、「容赦なく糾弾された方がまし」とも思いません。
*
先日別れた彼氏から言われたのは、「SNS等で相手を批判したくなったときは、批判から始めるな。まず相手を褒めちぎれ。それから、謙虚に下手(したて)から相手への疑問を言え」ということです。
文例
『こんにちは。私は貴方様の読者の菅沼亜由美と申します。私は貴方様の著作を拝見して、その見識の広さに感服しました。差し出がましいお願いですが、一つ質問があります。私は無学な者ですから、あなたのこの発言が、どういう意図を持ってなされたものかうまく理解できません。教えていただけるとありがたいです』
以前ツイッターでアイヌ女性の方の発言に疑問を呈したときも、この表現を使えばよかったのかもしれません。下手な表現をするとアイヌ差別者になってしまいますから。
私は自分の無学さをきちんと自覚し、トレーニングすべきなのです。そうすれば「正当防衛」されることも減るでしょうし、「自分は要らない人間だ」という意識に悩むこともなくなるでしょう。
とにかく、私の生きづらさは、私の努力で、ある程度解決できる問題なのです。彼氏にはDVもされましたが、コミュニケーションの仕方を教えてくれたことには感謝しています。