明るい傘 菅沼亜由美のブログ

閲覧注意 NSFW ASD/ADHD/HSP 昔やっていたサイトの続きみたいなものです。意味のないことばかり書いています。

悪人をかわいがり、ぶちのめす

私の「犯罪性愛(犯罪者など残酷な人への性愛)」には、「強者になびく」という側面と、「相手の残酷さの中に、幼さや未熟さ、子供らしさを見出して愛でる」という側面があると感じます。子供って残酷ですから。

私は残酷な人間を「ガキ」として心底軽蔑しつつ、愛でているのです。

残酷な人間は、馬鹿で、純粋で、子供みたいで、かわいいです。だからこそ、いじめたくなりますし、よしよししたくなりますし、惚れてしまいます。私がDV男とばかり付き合ってしまうのもそういうことでしょう。

もしかすると、ツイッターでナチ戦犯をいじめて楽しんでいるヲタクたちも、そういう心境なのかもしれません。そして私は、そういうヲタクたちを「残酷だなあ」と心底軽蔑しながら愛でています。

でも、「犯罪者や残酷な人間を心底軽蔑しつつも愛でる」というのは、一種の珍獣扱いであり、オリエンタリズムです。もっと言ってしまえば、差別です。

しかし、戦犯という強者相手の差別は、社会的にまだ許容されます。だから、ナチヲタの人たちは、社会に許容されるために必死の努力をしているのかもしれません。

そうか、私は、ナチヲタの端くれでありながら、ナチヲタを差別しているんだ……ナチ戦犯を軽蔑しながら愛でている人たちを、軽蔑しながら愛でているんだ……うわあ……。

自分の中の残酷な衝動やオリエンタリズムをどうやって発散すればいいのか悩んでいます。

まあ、一番手っ取り早いのは、SNSネトウヨを叩くことです。ネトウヨを思いっきり軽蔑しながら愛でてやることです。ロリ神レクイエムのういちゃんのように、笑いながら粛清してやることです。

それにしても、ナチヲタがなぜネトウヨを軽蔑しつつ愛でないのか、とても不思議です。ネトウヨはナチ戦犯と同じくらい有害な連中なのですから、ぜひとも笑いながらぶちのめしていただきたいと思います。

彼らがネトウヨ叩きに協力してくれれば百人力なのですが、彼らも彼らで、「ナチという差別集団を愛でている私たちが反差別を訴えるのは矛盾している」と葛藤しているようなので、無理には誘えません。

まあ、ナチヲタを差別している私が何を言っても無駄ですが……。

もしかしたら、私もナチのことを笑いながらいじめれば良いのかもしれませんが、どうしてもその気にはなれません。ナチの連中が「赤の他人」「自分と全く関係ない存在」に思えないからです。

私も奴らのようになりかねないし、同時に、奴らに殺されかねないからです。

ナチスという組織が消えても、ナチズムや優生思想は残り続けます。それはすべての人の中にある残酷な本能だからです。だからこそ、私はナチスのことを「笑いながらいじめる」「おもちゃにする」ことに抵抗があります。

でも、ナチスを笑いながらいじめておもちゃにする人たちのことは、笑いながらいじめておもちゃにしてしまいます。ああ……彼らはナチスをこんな風に見ているのか……。

彼らはある意味、「ナチスとの心理的距離が遠い」のかもしれません。ナチスのことを「他人事」として捉えられる。ナチスのことを自分事ととらえて、真面目に思い悩んでしまう私とは大きく違っています。

なので彼らはある意味気楽で幸せな人たちです。

そして私は、人権派の皮を被った差別主義者です。私の問題行動を見聞きしたことがきっかけで、「人権派嫌い」「発達障害者嫌い」になった方もいるはずです。そうした方には申し訳なく思います。