明るい傘 菅沼亜由美のブログ

ASD/ADHD/HSP 昔やっていたサイトの続きみたいなものです。

ヨルシカ「思想犯」と『走ラヌ名馬』

https://youtu.be/ENcnYh79dUY

ヨルシカの「思想犯」に、「爪先立つ 雲が焼ける」という歌詞があるが、元ネタは太宰治のエッセイ『走ラヌ名馬』(新潮文庫『もの思う葦』所収)ではないか。

『走ラヌ名馬』の中に、こんな一節がある。

「ユライ芸術トハ、コンナモノサ、譬噺(タトエバナシ)デモナシ、修養ノ糧デモナシ、キザナ、メメシイ、売名ノ徒ノ仕事ニチガイナイノダ、ト言ワレテ、カエス言葉ナシ、素直ニ首肯、ソット爪サキ立チ、夕焼ノ雲ヲ見ツメル

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1059_34631.html

 

ネット上には、尾崎放哉との関連性や、「爪先立つ」は「妻先立つ」ではないか、と指摘している方もいるが、私はこの『走ラヌ名馬』からの引用であるという説を提唱する。

太字部分より前の引用部分に書いてあることも、「思想犯」の歌の主人公の気持ちと合致する。

これはしがないリスナーの単なる推測である。ヨルシカのアルバムは「盗作」しか聴いていない。それでもヨルシカの歌が創り出す世界を本当に愛している。

優しい人の間違い

ナチスはいいこともした論」がなぜ間違っているかようやく分かった。心根の汚い奴がいいことをしても偽善にしかならないからだ。

ナチスにさえも情けをかけ、「彼等にも何らかのいいところがないとおかしい」と思っている人たち。彼らはエンパシー(立場の違う人への共感)を利用されている。これも一種の搾取と言えないだろうか。

安倍晋三の死を悼む者たちもそうだ。安倍もヒトラーも、人殺しと弱い者いじめと泥棒が仕事なのだから、彼等の死を悼むということは、名古屋入管収容所で殺されたウィシュマ・サンダマリさんを踏みにじるということだ。ドイツのベルゲン=ベルゼン収容所で殺されたアンネ・フランクさんを踏みにじるということだ。

ナチス自民党への無節操な同情は歴史否定や差別への加担に繋がりかねない。犯罪者にもそれなりの事情があり、同情心が湧くときもあるが、犯罪者に情をかけすぎると犯罪被害者や歴史を踏みにじることになる。

なので犯罪者に情をかけやすいタイプの人は本当に気をつけないといけない。悪人に情をかけたら支配されてしまう。DV加害者を甘やかしていつまでも別れられない人は悲惨である。

恥ずかしながら、私もかつてはヒトラーの冥福を祈っていた。彼はきっと死の瞬間に自分のやったことに罪悪感を抱いていただろう、と勝手に妄想していた。

あの頃は本当に何も知らない甘ちゃんで、知らぬ間に権力に加担し、被害者を差別していたのだ。そしてナチスを憎むユダヤ人の人たちを「自分と絶対分かり会えない相手」として敵視していた。恥ずかしい限りである。

心の優しい繊細な人ほど、自分が不当な権力に屈していないかちゃんと気をつけないといけない。権力に屈してものを言わないことで、悪は肯定されてしまうのだ。

だから、田野大輔先生と小野寺拓也先生の共著『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット)を読んで勉強したい。

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b628046.html

どうせ人を殺すなら、独裁者や差別主義者などの強者を狙うべきだ。障害者やユダヤ人や在日朝鮮人を狙うな。怒りの矛先は弱者でなく強者に向けるべきなのだ。ヒトラーと山上さんの違いはそこにある。

【音楽談義】FF6ラスボス曲「妖星乱舞」第4楽章の元ネタ推測など

(これは私が以前別ブログに載せていた文章を編集し再掲したものです)

 

私はFF6をやったことがありません。10代の頃、兄が床にあぐらをかいてピコピコ必死にやっているのを横でじーっと立ち見していただけです。作中の音楽があまりにも美しかったので、兄に「シッシッ」と言われるまで突っ立って聴き惚れていました。

実は、私はFFの作中音楽を作曲した植松伸夫さんと同じく、プログレッシブロック(プログレ)のヲタクです。

プログレッシブロックとは、「進歩的なロック」という意味です。1960年代末にイギリスで勃興し、そこから70年代前半にかけて最盛期を迎えました。それから半世紀経った今でも活躍しているバンドがたくさんあります。

ちなみに私は、2021年12月にキングクリムゾンの来日公演を観た者です。3人ものドラマーを抱える彼等は、老齢を迎えてもプログレス(進歩)を続けていることを実感しました。

プログレミュージシャンたちは、ロックにジャズやクラシックや民族音楽などの要素を混ぜ、変拍子(7拍子や13拍子など)を使い、転調とテンポ変化を繰り返し、レコードの片面をまるまる使うほど長大な曲を作りました。1曲の演奏時間が20分超えの曲などザラにあります。

私は10代の頃から、『ジョジョの奇妙な冒険』好きの兄の影響でキングクリムゾンやイェスやピンクフロイドなどを聴いてきました。

ジョジョの作中に「キングクリムゾン」というスタンド(守護霊)が登場するそうなので、その元ネタがイギリスのバンドであることを知った兄は、一気にプログレ沼にはまり込み、私まで引きずり込みました。

こうしてプログレ沼で遊んできた私は、ファイナルファンタジーⅥラスボス曲「妖星乱舞」(作曲: 植松伸夫) の第4楽章(ケフカ戦)の元ネタが分かってしまいました。

植松さんのプログレ好きは以前から知っていましたが、こんなにもたくさんの曲をネタにしているなどとは思いもしませんでした。

以下、ネタにしたと思われる曲を挙げていきます。

・ヨーロッパ特急(クラフトヴェアク/クラフトワーク

・タルカス(ELP

・神秘(ピンクフロイド

ケフカ戦のメロディはこの3曲の一部を切り取って少々の改変を加え、組み合わせたものです。

まずはこれをお聴きください。

妖星乱舞」第4楽章(最終楽章 ケフカ戦) 

https://youtu.be/VjEh3Lgd8Gc

暗く激しいロックと荘厳な宗教音楽を混ぜたような壮大な曲です。ゲーマーに限らず、この曲に聴き惚れた方は多いのではないでしょうか。

そしてここからは、元ネタかもしれない曲のリンクを貼っていきます。

・クラフトヴェアク(クラフトワーク)「ヨーロッパ特急」

Kraftwerk"Trans Europa Express"

最初のメロディーに注目してください。ケフカ戦音楽の冒頭にそっくりです。

https://youtu.be/rFCN676Z7uo

クラフトヴェアクは、ドイツのプログレバンド、というか、YMOと同じテクノポップバンドです。『アウトバーン』『レディオアクティヴィティ(放射能)』『電卓』など、シンセサイザーで奏でる彼らの機械的な音楽は、YMOに影響を与えました。

クラフトヴェアクは2012年に来日し、幕張メッセで開かれた反核イベント「NO NUKES 2012」で『レディオアクティヴィティ』の福島バージョン(日本語歌詞)を披露し、反核と平和への意志を示しました。ちなみに日本語歌詞は坂本龍一さんが監修したそうです。

YMOの生き残りは、もう細野晴臣さんだけになってしまいましたね。フローリアン・シュナイダーなど、クラフトヴェアクのメンバーもちらほら鬼籍に入ってきています。

ELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)「タルカス」

Emerson, Lake & Palmer "Tarkus"

0:33〜0:58に注目してください。ケフカ戦の音楽の0:30〜1:53に似ています。一部「魔導師ケフカ」という曲の一節が入りますが。

https://youtu.be/QQ1Zo6faTQY

ちなみに「タルカス」という曲自体は20分超えの大作で、2012年のNHK大河ドラマ平清盛』にオーケストラ版が使われています。このドラマの劇伴を担当した吉松隆さんは、「タルカス」のオーケストラアレンジをなさった方です。ELPの生き残りは、ドラマーのカール・パーマーだけになってしまいました。

参考:植松伸夫作曲「魔導師ケフカ

「ぼくちんケフカだじょー」という雰囲気のふざけた曲です。

https://youtu.be/K7NbQuujRI4

 

ピンクフロイド「神秘」

Pink Floyd "The saucerful of Secrets"

8:37〜最後が、ケフカ戦音楽の1:53〜3:05に似ています。おぞましさと荘厳さを両方感じます。

https://youtu.be/6oWOConfUV8

ピンクフロイドは1967年のイギリスで、『夜明けの口笛吹き』という凄まじいアルバムを放ってデビューしました。

しかし初代リーダーのシド・バレット麻薬中毒や精神病で死にそうになったので、バンドはセカンドアルバム『神秘』制作中にシドを解雇しました。この「神秘」という曲はセカンドアルバムの表題作です。

それ以降ピンクフロイドは、シドのギターの師匠だったデイヴィッド・ギルモアを迎え入れて活動していましたが、今はデイヴィッドとベーシストのロジャー・ウォーターズの仲が非情に険悪になっており、なかなか難しい状況です。ドラマーのニック・メイスンがなんとかとりなしてくれるといいのですが。

シンセサイザー担当だったリック・ライトは、天国からどんな気持ちで彼らを見下ろしているでしょうか。

それはそうと……植松伸夫さん、プログレが好きすぎるのはわかりますが、いくらなんでもパクりすぎではありませんか。

【短編小説】怖いのはどっち

(これはかつて私がnoteに載せていた短編です。今読み返しても面白いので再掲します)

 

 もうすっかり秋の冷気に包まれた日曜の朝、栄子は6時に起きた。

 

 眠気覚ましのために朝からスマホ片手にツイッターをだらだら眺めていると、栄子の相互フォロワーの日本史ミリヲタ垢「みなやー型護衛艦」というツイッタラーのツイートが流れてきた。

 

「韓国人って怖い。だって怒ったら何してくるかわかんないじゃん」

 

 栄子はヒヤッとした。みなやーとは結構歴史について親しく話す間柄だったが、こんな極右発言をするのを見たのは初めてだった。そして、「この人私のこと言ってる!」と心の中で叫んだ。それは「普通の人間に過ぎない自分が過剰に恐れられている」ということだった。

 そして、シャルルマーニュちゃんという相互フォローのカール大帝なりきり垢がいいねしているのを見て、「シャルルマーニュちゃん、嫌韓ネトウヨだったんだ……」と悲しくなった。

 

 朴栄子(パク・ヨンジャ)は在日朝鮮人四世だったが、ネット上ではそれを伏せ、世界史ヲタ「えいこ」として活動していた。つぶやくのは主にドイツ史についてだった。でもなぜかこの界隈にはミリヲタネトウヨも兼ねている人が多く、平和主義者で左巻きの栄子は辟易していた。

 

 栄子は思わずみなやー相手にこう返した。

 

「みなやーさん、それは日本人が怖いことをするから、韓国人も怒りのあまり自ずとそうなるのではないですか? 本当に怖いのはマジョリティですよ。それに誰だって怒ったら怖いでしょう。そういうことです」

 

 自分でも上出来の文章だと思った。

 

 栄子は相手からの返信を待っている間、自分が今まで呟きためてきたツイートを見返し、「これはいい出来だな」「これはちょっとつまんないかな」などと自己評価して暇潰しをしていた。本当は朝6時半からラジオ体操をするつもりだったのだが、ツイッターに夢中になるうちにすっぽかしてしまった。

 

 そして6時40分頃、相手がついにこう返してきた。

 

「だから怖いんだよサヨクは……」

 

サヨク」とカタカナで侮蔑的に書かれたことに、栄子はカチンと来た。なんでこんなやつと相互フォローしてんだろ。馬鹿馬鹿しい。栄子は怒りに任せてみなやーをブロックした。もちろんシャルルマーニュちゃんも。

 

 きっとみなやーは私を恨んでやいやい言うんだろうな。やれヒステリーだの、サヨクは怖いだの、チョーセン怖いだの、色々言うんだろう。はいはい、勝手に言わせておけばいい。

 そう思って、栄子はツイッターを閉じた。さ、朝ご飯作らなきゃ。栄子は台所に向かって、お茶碗に白飯をつぎ、キムチと生卵を載せて食べた。

 

 その数日後、栄子がやっている質問アプリに、匿名でこんな質問が来た。

 

「えいこさんはえいこさんじゃなくてヨンジャさんだったりするんですか?」

 

 私は「またあいつか!」とカチンと来て回答しなかった。もうあいつを通報してやろうと思い立った。そして相手のユーザーネームで検索して、みなやー型護衛艦をヘイターとして通報した。

 ふう、これであいつが消えてくれたら、一件落着。

 

 *

 

 栄子は、会社勤めの傍ら、帰りに図書館に立ち寄り、世界史に関する様々な本を借りて、家に帰って読み耽り、知的好奇心を満たしていた。

 

 そして暇さえあれば世界史好きの仲間たちと楽しくツイッターでしゃべくって日々を過ごしていた。その中には、「愛新覚羅溥儀と同じ苗字の女医が東京にいる」「インカ帝国の人は紐の結び目で意思疎通を行っていた」という真面目な世界史豆知識もあったし、「もしカエサルに現代風ダンスを踊らせるなら何がいいか」というふざけたものも含まれていた。

 

 栄子は大爆笑しながら、「BTSの『DNA』とかいんじゃね?w」と呟き、歴ヲタ仲間からも難民支援関係で繋がっている仲間からもいいねをもらった。そしてリア友のゆっこから「あんな激しく踊ったら服脱げるわwww」というコメントをもらって、「まあいいじゃん裸で踊ればwww」と返し、ゆっこから「眼福」と言われた。こうして歴ヲタトークはバンバン弾んだ。

 

 しかし、「戦争反対」「差別反対」などと左巻きの発言をするたびにフォロワーが減ったり、ブロックされたりするのが嫌だった。流石にゆっこはブロックしてこないけど、昨日まで仲良く話していた人から突然ブロックされるのは、精神的にこたえたし、ネトウヨと判明したヲタク仲間をブロックするのはいつも気が引けた。

 

 なんでこんなに、左翼は、在日は、嫌われるんだろう。私何か悪いことしたかなあ? ただ日本で韓国籍の両親から生まれて、反政府活動、反差別活動してるだけだよ? それが悪いっていうんならあんたら肉屋を崇める豚さんだ。さっさと独裁者に食われろや。ボケ。

 

 その後も次々と匿名の不快な質問は届く。

 

「みなやー型護衛艦というアカウントをどう思いますか?」

 

「キムチのツイートはしないんですか?」

 

 みなやーの奴、別垢から送信してんだな。糞野郎、鍵垢にしてやろうか。

 こうして栄子は、アカウントに鍵をかけた。でも鍵垢だとリツイートしたときに怪しまれる。それに友達と共同運営している難民支援ブログを宣伝しても効果が上がらなくなる。なのでやむなく鍵を外した。みなやーから変な質問が来ても無視すればいいだけ。

 

 でも、悲劇は起こった。

 

 栄子は難民支援ブログに、「入管の個室に閉じ込められて餓死させられそうになったベナン人仮放免者アダムさんが、国を相手取って裁判を起こしています。裁判は来週の金曜日、〇〇地裁第✕✕号法廷で10:00〜です。ぜひ傍聴にお越しください。傍聴の際の抽選の有無は裁判前日頃にホームページでご確認ください」という内容の記事を書いた。

 するとブログのコメント欄にこんなコメントがついた。なんと「あやなみ」名義だった。

 

ベナンとか知らねーよ。それよりヨンジャさんはなんのキムチが好きなの?」

 

 みなやーの態度の軽さ、しつこさに凄まじい怒りが湧いたし、一方で呆れてものも言えなかった。

 

 そして友人たちと相談し、コメントをこちらから削除した。

 

 栄子は今晩も怒り狂って眠れない。

 

 あいつ、なんでそうやって私を追いかけ回すの? なんで私にそんなにこだわるの? やめなよ。さもないと裁判起こすぞ。あんたを訴えるぞ。いつか必ず。

 

そして栄子は、ツイッターに改めてツイートを投稿した。

 

「朝鮮怖いとかほざいてるやつに警告する。本当に怖いのはお前らネトウヨだ。ネトウヨが在日にヘイトスピーチだとかチマチョゴリ切り裂き事件だとかめちゃめちゃ怖いことするから、在日の人たちも自ずと怒り狂うんだ。肉屋を崇める豚どもよ、恥を知れ」

 

このツイートは30もいいねを集めた。色んな人にリツイートされて拡散されたから、こんなにいいねされたのだろう。フォロワー100人程度のしがないアカウントが、初めて30いいねをもらった瞬間だった。

 

栄子の闘いは、まだまだ続く。みなやーが、ネトウヨが、つまんない奴らが、ネットの世界から消えるまで。

 

 *

 

 皆瀬克也は、怒っている女性、特に怒っている韓国人女性に、恐怖とも愛ともつかぬ、複雑で強烈な感情を抱いていた。

 

 もちろん彼女らに対して「怖えな、おい……」と怯む感情もあるが、母がリビングで韓ドラを見ているのに出くわすと、たまに美しい女性が朝鮮語を早口で捲し立てて怒っている。

 

 それを見て皆瀬は、胸がズキッと刺されたように痛むが、同時に興奮した気分になる。怒りに眉を釣り上げ目をかっ開くと同時に、怒りに身を任せることに快感を覚えているような韓国人女優もいた。その女優のなんと美しかったことよ。今までその女優の鬼の面相で、何回シコったことか。

 

 この性癖に呆れ果てている自分もいた。こんな変な性癖捨てられたらいいのにとも思った。でも、もっと彼女らの怒る姿が見たかった。

 

 でも皆瀬の周りに韓国人女性はいなかった。でも、ツイッターにはいくらでもいた。だからいくつも捨て垢を作り、激怒する韓国人女優の画像をネットから引っ張ってきてアイコンにし、在日朝鮮人女性に喧嘩を吹っかけては怒らせていた。

 

 しかし流石に、朝鮮半島在住の韓国人・朝鮮人に喧嘩を売る度胸はなかった。なぜなら皆瀬はほとんど朝鮮語が分からなかったからだ。しかも「あっちの人たち」を怒らせたらどんな訴訟が待っているか分かったものではない。グーグル翻訳を駆使するという手もあったが、やはり不自然な翻訳言葉は相手に見破られるだろう。

 

 実は母の知り合いの朝鮮語教師に朝鮮語の体験レッスンを申し込んで、実際に教室で発音練習などしてみたが、隣国の言葉のくせに本当に難しくて、それ以来行かなくなってしまった。

 

このままニートのツイッタラーを続けていても、母に「早く仕事を見つけなさい」と怒られるだけだ。こんな時親父に守ってほしいものだが、親父はあいにく数年前に大腸がんで亡くなった。

 

ただ、皆瀬は学生の頃から世界史は得意だった。それに戦艦も好きで、プラモもたくさん作っていた。だからツイッターで「みなやー型護衛艦」という名義のアカウントを作って、歴ヲタ・ミリヲタイッタラーとしても活躍していた。「みなやー」は「あやなみ」の逆さ読みだ。あやなみ型護衛艦という海上自衛隊護衛艦があるのだ。

 

母からは「あんたのその歴史好きをどうにか仕事に活かせないもんかねえ」と小言を言われている。鬱陶しくもあるが、自分でも母の言葉は正しいと思う。

 

 そんなときにツイッターの海で出会ったのが、「えいこ」というドイツ史垢&難民支援垢&サヨク垢だった。

 雑多な垢だなあ、なんで趣味垢と政治垢を分けないのかなあ、俺みたいな奴にブロックしてくださいって言ってるようなもんじゃん。絶対在日だろこいつ。えいこって漢字で書いたら栄子か英子だろ。じゃあヨンジャじゃん。こいつに色々仕掛けてやろうと思って、フォローした。するとえいこの方もフォローしてきた。やった! 成功だ! これからどんなちょっかいをかけてやろうかな。

 

でもえいこの側から、「みなやーさん、日本軍に関する知識量が凄いですね。尊敬します」と褒められると、とても嬉しく温かい気持ちになる。なのでちょっかいを出したいという気持ちが少し薄まる。こんないい子をいじめるなんて気が引けた。

 

それでも皆瀬は、えいこが日本政府や外国人差別にガンガン怒る様子を見ると、嬉しくて仕方なかった。俺にもその燃えんばかりの憎しみを向けてほしい。カンカンに怒ってほしい。皆瀬はえいこの怒りを心から渇望した。

 

こうしてついに皆瀬は、夜更かし明けの日曜の朝早く、試しに嫌韓ツイートをツイッターの海に放り込んでみた。

 

「韓国人って怖い。だって怒ったら何してくるかわかんないじゃん」

 

すると一つのいいねが来た。いいねしたのはシャルルマーニュちゃんという世界史なりきり垢だった。お、同志発見か? でも俺が韓国人に抱いてるような複雑な感情なんかこいつはわかんねえだろなあ。怒ってる韓国人の女がめっちゃ好きだ、韓国人の女を怒らすのが好きだって気持ち。

 

でも、捨て垢でやるべきことをメインの世界史垢でやっちまったのはヤバかった。冷や汗かいて後悔していると、えいこからリプが来た。

 

「みなやーさん、それは日本人が怖いことをするから、韓国人も怒りのあまり自ずとそうなるのではないですか? 本当に怖いのはマジョリティですよ。それに誰だって怒ったら怖いでしょう。そういうことです」

 

 皆瀬はギクッとした。これだから怖いんだよサヨクは……そして思ったことをそのままリプした。するとえいこから即ブロックされた。

 

 皆瀬はえいこのキツいリプに胸を刺されると同時に、その痛みに酔いしれてもいた。だからもっとえいこを怒らせて、その苦しい快感をもっと味わいたかった。

 

 それで皆瀬は、捨て垢に切り替え、えいこのアカウントを探し出し、「匿名の質問を受け付けています!」と書かれたリンクをタップした。そしてえいこを怒らせるための質問を何度もした。

 

「えいこさんはえいこさんじゃなくてヨンジャさんだったりするんですか?」

 

「みなやー型護衛艦というアカウントをどう思いますか?」

 

「キムチのツイートはしないんですか?」

 

どれだけ待っても、えいこからの返事は来ない。皆瀬はすっかり痺れを切らしていた。

 

そんな日々が1週間続いたある日のこと。 

 

捨て垢でえいこの垢を見に行ってみると、えいこは難民支援ブログの宣伝をしていた。

 

「入管の個室に閉じ込められて餓死させられそうになったベナン人仮放免者アダムさんが、国を相手取って裁判を起こしています。裁判は来週の金曜日、〇〇地裁第✕✕号法廷で10:00〜です。ぜひ傍聴にお越しください。傍聴の際の抽選の有無は裁判前日頃にホームページでご確認ください」

 

かっこいい。最高にかっこいい。こんなえいこにクソコメして、激怒するのを見られたらどんなに眼福だろう。

 

そして皆瀬はブログアプリのアカウントを作り、難民支援ブログに「あやなみ」名義でコメントしてやった。

 

ベナンとか知らねーよ。それよりヨンジャさんはなんのキムチが好きなの?」

 

 これで怒りの返信が来れば、ただでさえニート非モテの俺はますます性的快楽を得られる。おお、楽しみだ、楽しみだ。皆瀬はドキドキしながら、ブログをブックマークした。

 

しかし次の日、ブログを見に行ってみると、コメントが消えていた。

 え? どういうことだ? なんでこんなに俺を冷たくあしらうんだ? 

 

もう我慢できない。来週の裁判に乗り込んでやる。最近不規則な生活だけど、頑張って早起きしてやるぞ。

 

 *

 

 今日はベナン人仮放免者アダムさんの裁判のある金曜日。

 栄子は仕事の休みをなんとか取り、9時45分頃に裁判所に着いて、法廷の分厚い木の扉の前で原告のアダムさんに会った。

 アダムさんはほっそりとしたなめらかな褐色の手で、栄子の手を握り返した。

「ヨンジャさん、奈々さんから聴きましたが、今日は抽選ないみたいですね」

「ええ。そうみたいですね。もっともっと私たちの活動が注目されれば、抽選もあり得るんですけどね。もっと頑張りましょうね、一緒に」

「はい、ありがとうございます!」

 アダムさんは栄子の手を強く握ってブンブンと振った。

「アハハハ、痛いよアダムさん……」

 アダムさんはニコニコしていた。私達支援者も親しい触れ合いを通じて思わず笑顔になった。

 

 ふと、視界の端に、黒いシャツとズボンを履いた、寝癖の強いメガネの男が入ってきた。その男は私達の方をずっと見つめている。

 

 仲間の奈々が小声で、「ちょっとあいつ怪しいから訊いてくる」とその場を離れた。奈々一人だと心配なので栄子もついていった。

 奈々が男に「アダムさんの裁判の傍聴に来たんですか?」と訊くと、相手はすっと息を吸い、早口でまくし立てるように言った。

「違います、俺はヨンジャさんに会いに来ただけです。ヨンジャさんの怒ってる姿が最高にカッコいいんでリアルで見たいなと思ってそれで来たんです」

 奈々と栄子の口から「はあ!?」という呆れ声が漏れた。みなやーだ! みなやーがついてきたのだ!

 奈々が「変態は帰れ!」と叫んだ。栄子も「そーだ! 帰れ!」と応戦した。するとみなやーは「あ~やっぱり怒ってる女性はかっこいいなあ……そこに韓国人という要素が加味されるとさらに……」

 

 栄子は声の限りに叫んだ。

「うっさい! 早く出てけ! このクソネトウヨ! 肉屋を崇める豚! 死ね!」

 

奈々が栄子に「ヨンジャ、そのくらいにしなきゃ! 相手はヨンジャが怒ってるのを見るのが好きなんだから! 相手を喜ばせちゃダメ!」

 

 こうして奈々と栄子は黙ったままみなやーの腕を両側からぐいっと掴み、裁判所の警備員にみなやーを突き出し、追放させた。

 

 奈々と栄子が帰ってくると、アダムさんが「奈々さん、ヨンジャさん、かっこよかったです!」と感激していた。

 奈々は恥ずかしそうに「ありがとうございます……それはあの変態と同じ意味で言ってんじゃないですよね?」とアダムさんに訊いた。

アダムさんは「はい、もちろんです! 変態は嫌いです! 変態をやっつける人、かっこいいです!」とキラキラした目で答えた。

 それを見て栄子も奈々も、その周りの支援者たちも、自然と笑顔になった。

 アダムさんは子供のような純粋さ、明るさという才能がある。そんな素晴らしい才能を持っている人が入管で餓死しそうになっていたというのが苦しいし、腹立たしい。

 アダムさんはどれだけ辛く苦しい日々を耐えてきたのだろう。栄子も在日として、日本政府に虐げられている者として、彼への心からの連帯の気持ちが湧いた。

 

 そして眼の前の重い扉が開き、法廷は私達を迎え入れた。

 

 裁判は始終、裁判官と弁護士と被告側のボソボソ声で進められ、栄子にはあまり聴き取れなかった。それでも一生懸命メモを取った。

 

 裁判の後は外の広場に出て、弁護士の木本さんと原告のアダムさんを囲んで、今回の総括をした。

 

 入管側は、「アダムさんが暴れるからやむなく閉じ込めた。私たちは私たちの仕事をしただけだ」と主張したらしい。栄子にはそれが「上からの命令に従っただけだから、俺は悪くない」というナチ戦犯・アイヒマンの言葉に重なった。

 

 絶対に許せない。絶対に勝ってやる。こんなクソみたいな国に。そして、あんなクソみたいな変態ネトウヨにも。

 

 本当に怖いのは、お前らだ。

 

 *

 

 秋の涼風と言うにはいささか強すぎる風に吹かれ、皆瀬は泣きながら地下鉄の駅の階段を降りていた。この性癖どうすればいいんだろう。俺、どうしようもないクズだ。病院に行って診てもらうしかない。

 地下鉄を乗り継ぎ、家の最寄駅で降りる。地上に出ると、空にはすっかり昼の太陽が照っていて、皆瀬だけでなく、世界全体を柔らかく照らしていた。それだけで、なんだか慰められている気がする。風に吹かれて涙もひいていった。

 十分ほど歩いて、自宅マンションの玄関まで辿り着いた。皆瀬は七階に住んでいたので、エントランスにズラッと並ぶポストの列から自分のを探した。

 すると、自分のポストのすぐ隣に、「木下栄子」と書かれたポストを見つけた。もしかしてヨンジャ、隣の部屋なのか?

 皆瀬の目にまた涙が溜まった。そして鞄からノートを取り出すと、涙を必死でこらえながら、こう書きつけた。

 

「朴栄子さん、こんにちは。みなやー改め皆瀬克也です。先程は申し訳ありませんでした。もうあなたを怒らせたりしないように、このマンションを出て一人暮らしします。そして病院に行き、韓国人女性への歪んだ感情を診てもらい、治してもらいます。また、実家でのニート暮らしでこれ以上母を煩わせたくないという思いもあります。許していただかなくても結構です。さようなら。人違いだったらすみません」

 

皆瀬は、やけにすっきりした心地で、謝罪文を書きつけたノートの一ページを破り、ヨンジャのポストに折り曲げて入れた。そして、母に決意を告げに行くために、エレベーターのボタンを押した。

合わない界隈に居残る罪

私は歴史(特にドイツ近現代史)が好きだが、ツイッターのナチヲタ界隈の人たちは嫌いだ。

推しいじめや女体化などで他人の人生や歴史を平気で弄び、馬鹿にする人たちが嫌いだ。

中にはそういうことをしない人もいるかも知れないが、そういう人をツイッターで見た覚えがない。

だから少しでも彼らのことを嫌だと思った時点で、彼らと距離を取るべきだったのだ。

彼らもヲタクというマイノリティなのだから、私は彼らのことを尊重し、距離を置くべきだった。私は彼らをどうしても好きになれないことを認め、さっと離れるべきだったのだ。

それなのに私はそれをせず、あるナチヲタの方のプライバシーを侵害して危機に陥れ、相手による無言通報という正当防衛・正当報復に逆ギレし、さらには相手の性的嗜好を馬鹿にする発言をしてしまった。

こんなことするくらいなら、最初から界隈に入らなければよかったのだ。入ったとしても、嫌だと思ったらすぐ抜ければよかったのだ。

ナチヲタを見下し、アカウントを危機に陥れる者は、危機に陥って当然だし、界隈にいられなくなって当然だ。それは当然の報いである。なぜもっと早く去らなかったのか。ふざけんな。

テメーはナチヲタが「優しく」なるように「教育」したかったのか。大きなお世話だ。ナチ戦犯に優しくするなんてネオナチそのものだろうが。

ナチヲタはテメーみたいな差別主義者に干渉されない権利があるんだ。自分たちのコミュニティを維持していく権利があるんだ。邪魔すんな。嫌なら見るな。彼らに干渉しないことで謝罪の気持ちを表明せよ。

岡和田晃さんの容赦なさについて

(今から書く話は私の中ではまだ終わっていません。現在進行形です。個人的な感想を未整理のまま書きましたのでご寛恕下さい。生きていくうちに思想が変わったらまた別記事にまとめるかもしれません)

 

こんにちは。

文芸評論家の岡和田晃さんとの間にあったことを語っておこうと思います。もしかしたらプライバシー侵害や二次加害になるかもしれませんが、彼の容赦ない対応について語らずにはいられないほど、私は傷ついて、心がぐちゃぐちゃになっています。

同じく彼に冷たくされた作家の佐藤亜紀さんのためにも、彼のB面を書き残しておきたいのです。私が救われなくてもあの人だけは救われてほしいと思うのです。

この記事を書く上で過去のスクショや文章のアーカイブスマホやパソコンで調べましたが、間違いがあるかもしれません。見つけ次第訂正していきます(この際参考にしたデータの中には、2023年8月にスマホを修理に出した際に消えてしまったデータもあります)。

 

岡和田晃さんは、私の被害者です。ネット上での鬱陶しい絡みと、プライバシー侵害の被害者です。

そして私は、それを理由に彼から間接的に絶縁宣言され、精神を病み、彼への執着を捨てきれず、彼にしつこく手紙やメールを出してしまった者です。ここ最近は手紙やメールを送っていませんが、ストーカーとして糾弾されても仕方がありません。本当に恥ずかしいです。

岡和田さんを知ったのは、当時別居しながら付き合っていた元彼(2020年8月29日初対面。私にDVと洗脳を行い2022年7月31日にこちらから絶縁)の友人の北大准教授・丹菊逸治先生のFB投稿のコメント欄を見たときでした。初めて見たときから岡和田さんには興味を惹かれていました。なんだか難しいコメントが多かったですが、薫り高い文章を書く人だなあと思いました。

元彼は岡和田さんとも丹菊先生とも面識があり、FB友達でした。3人は「アイヌの人権活動」というキーワードで繋がっており、岡和田さんと丹菊先生は『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社)という反差別文集の執筆陣に名を連ねています。

そして元彼は「アイヌ民族否定論(アイヌ民族の存在を否定する差別的言説)」を批判する研究会を主催したことがあります。

私は、2020年の秋か冬に、丹菊先生への友達リクエストが承認され、FB友達になりました。丹菊先生は右も左も分からない私にとても優しく辛抱強く接してくださり、今でも感謝の念が絶えません。本当にありがとうございます。

 

岡和田さんと私のファーストコンタクトは確か、2021年10月16日のことでした。スマホのスクショを調べた結果、10月16日頃と推測されます。

彼は、自身がフェイスブック上に載せていた「性的指向性的嗜好の混同は大きな問題である」(2021年7月4日付)という内容の公開投稿に、友達でもない私に突然「性的指向性的嗜好って一緒じゃないんですか?」と踏み込んだ内容のコメントをされてびっくりしたそうです。

私は岡和田さんやそのお仲間たちにヘイターと勘違いされ、「性犯罪と闘う岡和田さんの社会改善運動を邪魔するのか」などときつい態度を取られましたが、元彼が「この人(私)は俺の連れ合いです」とコメントしてその場を執り成してくれたことでなんとか場が収まりました。

元彼からは「友達ちゃう人のとこにコメントするときは、『横から失礼します』とか、『誰々の友達の〇〇です』って言いや」とアドバイスされました。

ちなみに書いておくと、「性的指向」とは同性愛、異性愛両性愛全性愛、無性愛の類です。そして「性的嗜好」とは、SM、リョナ、小児性愛、犯罪性愛、動物性愛、死体性愛、人形性愛の類です。よくこの2つは別々とされていますが、私は別々にする理由が未だに分かりません。どちらも要するに「誰を好きになるか」「どんな人を好きになるか」ということなのに。

性的指向は変わらないけど性的嗜好は変わる」という言説もありますが、「昔は同性愛傾向が強かったが年取ったらそれが薄れてきた」という人もいます。また、「思春期の頃はロリコン傾向が強かったが今は薄らいできた」という人もいます。

性的嗜好性的指向も変わりうるのです。しかしだからといって強制的に変えてはなりません。また、どんな性的好みであっても、性暴力が起きないように適切な欲望の処理の仕方を学ぶことは大切です。ロリコンならラブドールやアニメ、生成AIなどで発散したほうが、幼女を襲わずに済みます。でもエロアニメの真似をして性犯罪をする人もいるので難しいです。

数年前にFBで自分の性的嗜好(犯罪性愛)を「ただの趣味でしょ」「セクマイじゃないよ」と言われたときは本当にムカつきました。性的指向性的嗜好を分けるからそんな発言ができるのではないでしょうか。人の性的好みを侮辱することは許されません。

私は犯罪者が罪を犯すまでの悲しい事情に同情して好きになります。それは決して「趣味」などという軽いものではなく、生き方そのものです。

 

岡和田さんとのファーストコンタクトの後、私は丹菊先生のFB投稿に寄せられた彼のコメントに返信してもことごとく無視されるので、おかしいなと感じていました。

今考えたら、無視された時点でこちらからブロックすればよかったのです。向こうは私を嫌がっているわけですし、こちらから黙ってブロックしてしまえば、安全にフェードアウトできたはずです。それなのにそうしなかったのは、私の執念深さ故の失敗です。

 

そして2022年2月10日、私は彼の返事が欲しくて欲しくてたまらなくなり、彼のFB投稿をどんどん見て、いいねして、コメントを書いたりしました。

私は彼が自分の娘さんのイマジナリーフレンドに関してFB公開投稿に記していたのを見つけたので、同じくイマジナリーフレンド保持者である私は強く興味を惹かれました。

それで同じ日、娘さんのイマジナリーフレンドに関する2つの投稿のリンクを、自分のFB投稿に無断転載しました。そしてその翌日未明(2022年2月11日3:22)、私がやっていた犯罪性愛(犯罪者に惹かれる性的嗜好。犯罪の正当化もセットでついてくるとは限らない)に関するブログにも転載しました。

ちなみにそのブログは現在非公開にしています。今の自分の価値観では到底許容できない記事のオンパレードですので……。

FB投稿の方には、「友達の友達の娘さん」と、岡和田さんの娘さんのことはぼかして書いていましたが、ブログに転載する際に調子に乗って情報露出欲を出してしまい、「友達の友達・岡和田晃さんの娘さん」と実名を出してしまいました。本当に申し訳なく思っています。

2023年6月24日現在、転載した2つのリンクのうち2つ目(2021年10月31日9:39付)は見られますが、1つ目は見られません。

転載した時点では全く悪いとは感じていませんでした。公開投稿だし大丈夫だろう、という感じです。

そしておそらく同じ日、私は彼から何らかの良いリアクションが欲しくて、彼に友達リクエストさえ送信しました。彼がプロフィールに「友達リクエストを申請していいのは読者の方か、実際にお目にかかったことのある人だけです」と書いていたのを無視して……。

こうして、彼の本の読者でもなく面識もない私は彼に友達リクエストを送り、容赦なくブロックされました。ブロックされたのを確認したのは2022年2月20日です。

ブロックされた直後は大泣きしました。彼がこの世から消えたらいいのに、と思うほどでした。

 

そして傷はなかなか癒えず、2022年7月29日頃、私は岡和田さんのnote(文章・画像などの投稿サイト)のプロフィールにアクセスし、「クリエイターへのお問い合わせ」機能を使って、「あなたは私という障害者に対する配慮がなさすぎます。謝罪してください」とメールを送りました。下書きは前日の28日にスマホのドキュメントアプリに保存していました。

そしてその日のうちに、岡和田さんは元彼のメールアドレスに文章を送ってきました。私に送らず元彼に送るというのが、私に対する徹底的な嫌悪を表しています。そして元彼が岡和田さんのメールを私のメッセンジャーに転載して見せてくれました。

そこにはこう書いてありました。

 

あなたの彼女に絡まれてウザかったこと。

あなたの彼女を無視していたのは拒絶の意思表示だったのに、無視されて絡まれ続けて嫌だったこと。

あなたの彼女が悪意のない犯罪性愛者であることは分かるが、娘のプライバシーに関わる投稿を犯罪性愛に関するサイトに無断転載されたことで、娘を「犯罪」や「性愛」に結び付けられ、それが決定的に嫌だったこと。

あなたの彼女にも良いところがあればブロックしなくて済むのだが、彼女のブログを見てもいいと思える記事が一切なかったこと。

そして、これは許すとか許さないの話ではない、もう絶縁する。

 

私は真夏の路上でその文章を読んだのですが、読み終わった途端発狂しました。足を動かすのも辛く、家に帰るのも一苦労でした。

元彼は半狂乱になっている私にこう言いました。

「岡和田さん、あんたにきついけど、あれが普通ちゃうかな」

私をここまで苦しめる人が「普通」だなんて、酷すぎます。苦しむ人を目の前にして、一体何を言っているのでしょうか。自分が言われたらどう感じるか考えてみるべきです。

そして翌日の7月30日頃、元彼は岡和田さんからもう一通メールをもらいましたが、元彼は「内容がきつすぎるから見ん方がええ」と言って見せてくれませんでした。

その代わり、元彼は内容をかいつまんで話してくれました。

「もっと本を読め。人と交流しろ。場の雰囲気を読め。ニーチェの言う『虚無』に向かい合っているという点では、私もあなたの彼女も同じである」

私は岡和田さんのことをただただ鬼のような人と思っていたので、案外優しい言葉をかけられて嬉しかったです。

「岡和田さんも鬼やないんやな」と私が元彼に言うと、元彼は、「岡和田さんに失礼やぞ。岡和田さんに言うたるわ」と怒っていました。

そして元彼は、「岡和田さんにはあんたが傷ついとったこと言うたるわ。あんたという発達障害者に対する配慮がない」と言いましたが、私は「二次加害になるからやめて」と制しました。

少なくとも7月29日と30日は、元彼は私の家にいましたが、7月31日、元彼は私の家でなく自分の家にいました。私達はお互いの家を行き来しあっていたのです。

31日昼にメッセンジャーで「俺の家に来い! スマホ(あるいはパソコンか)のこと分からんから教えろ!」としきりに要求する元彼に、私は強い嫌気が差しました。私は彼にこれ以上搾取されたくなくて、メッセンジャーで「他の人に聞いて。あんたはDV男や」という旨の宣告をし、こちらからブロックして絶縁しまいました。

 

それからも私はフェイスブックを続けていましたが、岡和田さんが丹菊先生の投稿にコメントしていても、ブロックされているので彼のコメント内容が見られません。

「コメント1件」と表示されているのに内容が見られないとき、私は発狂して死にそうになりました。

なので私は辛さが限界に達して、2023年1月にフェイスブックのアカウントを削除しました。

一時丹菊先生やアイヌにさえも、岡和田さんに対する加害のトラウマが飛び火したので、精神科医によるトラウマ療法が必要ではないかと感じています。

 

ここまで長々と愚痴ってきましたが、岡和田さんは被害者なのですからガンガン怒って当然です。

加害者である私を思いやってやる義務などありません。

いくらこちらが加害のトラウマで死にそうでも、逆ギレしたり思いやりを求めたりするなど論外です。

しかしまあ、私でなく元彼にメールを送るというのは、陰口に思えます。岡和田さんは私を「ことばのつうじないひと」として見下しているのではないかと思います。

元彼がよくFB上で私のことを「関係ないコメントするな! 今すぐ消せ!」と叱りつけていたので、もしかしたら岡和田さんはそれを見て「この人(元彼)は俺の言いたいことを言ってくれててスッキリするし信頼できる」と思ったのかもしれません。

岡和田さんは岡和田さんで、私に直接言うと角が立つから、この人の彼氏に言おうと思ったのかもしれませんが……その彼氏がDV男だったのですよね。結果として「私を嫌う男同士の連帯」が生まれてしまいました。

私達はなんだかお互いをどうしても傷つけ合ってしまいます。

彼への執着を捨てられない私がおかしいのだろうか、ちょっとのことでで傷つきすぎなのかな、と今でも悩んでいますが、彼が公式サイトに書いたとある記事に、私は息を呑みました。

Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)

2017年10月31日の記事

「2013年11月のイベントに関した佐藤亜紀氏による中傷についての反論」

https://akiraokawada.hatenablog.com/entry/20171031/p1

この記事や関連ツイートを読んでも、詳しいことはよく分かりませんが、私がこれらの内容をどう解釈したかをここに書きます。

佐藤亜紀さんという作家の方が、2013年11月16日にパスカルキニャールという作家を招いた講演会「パスカルキニャールを読む日本の作家」に出た時、岡和田さんの司会ぶりが不満だったそうです。

佐藤さんはイベント直後の2013年11月17日に、岡和田さんに対して満足した様子のメールを送っていますが、その時点では本当の気持ちは言えていなかったのかもしれません。

しかし、2017年9月26日10:51付のツイートで、佐藤さんはこう述べています。

「だけど、結構尊敬していて、実際に会って話もしていて、ある程度の相互理解があると思った翻訳家の方が、新潮のセクハラ野郎どもにすり寄って揉手しながら、あれは駄目です内面の必要が感じられない、と尻舐めしていたと聞いた時の衝撃な。岡和田晃と言い誰と言い彼と言い、卑しい人間しかいない」

https://twitter.com/jenaiassez/status/912494729832554497?t=bYxDPkZHPIm3rAU2IBa22Q&s=19

これは岡和田さんの言うような「罵倒」「事実無根の中傷」ではなく、時を経てやっと心の深層から掘り出された佐藤さんの本音ではないでしょうか。または、「あのときのことを改めて思い返したら、いろいろと不満が湧いてきた」ということかもしれません。真相は佐藤さんにしか分かりませんが。

まあとにかく、2013年11月のイベントの録音データを岡和田さんと佐藤さんが二人揃って聴くことができたら、少しは解決に向かうのではないかと思います。でも佐藤さんは岡和田さんのことをもう諦め切っているかもしれません。

性暴力でもパワハラでも何でもそうですが、被害を訴えた方の言うことを「嘘つき」と見なす男性は、残念ながらどこにでもいます。

元彼もそうでした。私が元彼に「あなたにこうこうこういうキツいことを言われて傷ついた」と訴えても、元彼は「そんなん言うたっけ?」と言って、私を混乱させました。そうやってこちらの主張する事実を否定されたら、「私がおかしいのかな?」と不安な気持ちになります。

岡和田さんも元彼も、自分が絶対に正しいと思っているのかもしれません。そして「あなたの訴えるようなような事実はない」と主張し、人を嘘つき扱いし、威圧して屈服させようとするのです。

彼らは自分以外の人間がどんなふうに世界を見ているのか、あまりきちんと認識できていないのかもしれません。認識できないまでも、「この人はどんなふうに世界を見ているのだろう?」と興味を持って、相手の靴を履くことが苦手なのかもしれないな、と思います。

私もそういう想像力が働かず、岡和田さんの娘さんのイマジナリーフレンドの文字情報を無断転載することで、実質娘さんを見世物にしてしまいました。申し訳なく思っています。

なので私が悪くないというわけではないのですが、果たして岡和田さんが絶対に善いと言えるのだろうか、と迷っています。

まあこういうことはお互いに赦し合って、曖昧なままでもいいや、忘れちゃえ、と気楽に生きるのがいいのかもしれません。

でもそうしたらなんだか、被害を訴えながらも嘘つき扱いされている佐藤さんが浮かばれない気がするのです。

本当に今でも迷っています。心がぐちゃぐちゃです。岡和田さんへの憎しみや恨みを克服する苦肉の策として、一時彼に過剰に萌え、「推し活」「献金」と称して彼の本を買い、彼を神として崇拝し、「世界は岡和田さんのためにある。私はただひれ伏すのみ」と独りごち、彼に苦し紛れのラブレターを送るほど、私は病んでしまいました。

こうしてブログに未練を書いているのも、狂った所業かもしれません。

私は本当に、どうしたらいいのか分からないのです。私と岡和田さんの間に起こったことや、その後私が体験したことを、どうやって解釈したらいいのか分からないのです。

解釈なんか無理やりしなくていい、あいまいでいいよ、と思ったほうが楽なのかもしれませんが、いつまでも宙ぶらりんです。宙ぶらりんに耐える能力のある人が成熟した人間なのでしょうか。もう分かりません。

 

これは誰の責任なのでしょうか。

責任者などいないのでしょうか。

私は忘れっぽく鈍感であることが大切なのでしょうか。

そうすれば安全に生きられるのでしょうか。

彼は私との悶着で精神を病んでいるのでしょうか。それさえ分かりません。そういう曖昧な状態に死ぬまで耐えねばならないのでしょうか。

もういい、忘れられないなら仕様がありません。そんな割り切れない自分を受け入れてよしよしすることが一番大切なのかもしれません。

今は非常に精神が不安定なので、この記事も非公開にしたり公開したりを繰り返すかもしれません。申し訳ありません。

 

2023.8.17追記

岡和田さんについて考えた結果、彼は非常に排他的で感情的で理不尽な人であるという結論に達しました。そしてこのような人物にこだわるのは愚かだと気づきました。

彼は自分の仲間にはとても愛嬌を振りまきますが、私のようなよそ者、友達でもないのに突然反対意見を述べる者には非常に機械的な冷たい話し方をします。

彼からはムラ社会のノリを強く感じてしまいます。ムラの掟を破った私は、彼からしたらたまらなく鬱陶しい存在でしょう。

岡和田さんの容赦ない対応に苦しむ私を見た元彼は、「岡和田さん、ほんまはええ人なんやけどな」とよくつぶやいていました。私の燃えるような苦しみを目の当たりにしながらも、「岡和田さんは敵に回したくない」とも言っていました。

元彼が岡和田さんを「いい人」と言えるのは、元彼が岡和田さんに仲間として認識されているからです。ただそれだけの話なのです。岡和田さんは仲間に優しいけれども、「よそ者」や「どうでもいい人」には驚くほど冷たいです。どうでもいい人への態度こそがその人の本当の性格なのだとしたら、岡和田さんは本当はとても冷たい人ではないでしょうか。

私にDVと洗脳をした元彼さえも「岡和田さんは敵に回したくない」と言っているのですから、岡和田さんはきっと人を威圧して屈服させて生き延びてきた人なのだろうなと思います。元彼も私を威圧して屈服させた乱暴な男ですが、彼さえも岡和田さんを恐れているのですから、とんでもないお方なのでしょうね。

そういう威圧的な人間の側にいられるのは、権威にへいこらする人間やおとなしい人間だけです。岡和田さんはきっと報いを受けるでしょう。被害を訴える人を鬱陶しがり、未解決の問題をずっと放置しているのですから。

しかし、彼の詩や評論は素晴らしいです。弱い立場の人に寄り添い、権力を撃つ力に溢れています。正直彼の顔も美しい野獣みたいで好きです。だからこそ、私は彼の理不尽で排他的な対応が許せません。権力と戦う側もまた権力者になって人を威圧しているのが耐え難いです。

彼のツイッターやFBからは掃き清められたような雰囲気を感じますが、それは私のような人間を徹底的に排除して作られる清さであり、このような清さ、優生思想や排他主義から生まれる清さと、私は徹底的に闘っていかねばならないのだと思います。

彼は「菅沼さんに対して無視という名の拒絶をしたのに絡まれ続けて嫌だった」と元彼に語っていましたが、それは発達障害者に対して定型発達者並のコミュニケーション能力を求める乱暴な行為です。

彼は娘さんのイマジナリーフレンドに関する文字情報(FB全体公開投稿)を私に無断転載されたら、私に絶縁宣言するほど怒ったのに、娘さんの顔写真を含むネット記事を他人にツイッターでシェアされても全く怒らず、むしろいいねとリツイートをして、感謝を表していました。

娘さんの文字情報よりも顔写真のほうが、ロリコンのオナペットにされやすいのではないでしょうか。ロリコンの人たちにも恋愛の自由はあると思いますが、娘さんを襲いたくなる人たちもいるかもしれません。

彼のような親御さんのせいで、私のセキュリティ意識が育たず、無断転載をしてしまったとも言えます。

娘さんをオナペットや性犯罪被害者にしたくないなら、娘さんの情報を全体公開で載せるべきではないと考えます。それなのに彼は載せ続けていますから、いつか娘さんにプライバシー侵害で訴えられるかもしれません。実に危なっかしい親御さんです。

私は岡和田さんへの手紙で「娘さんの情報を無断転載して申し訳ありませんでした」と詫びたのに、彼は一切私に詫びていません。私のことをどうでもいいと思っているのでしょうか。

こういう排他的で感情的で理不尽な人間に感想を送って、彼に媚を売るということ自体が、彼に嘘つき扱いされて苦しんでいる作家の佐藤亜紀さんへの裏切りであると気づきました。

佐藤さんと連帯するためにも、私は岡和田さんと心理的距離を置こうと思います。もう彼に感想は出したくありません。実に馬鹿らしいです。

 

こんなことを書いたら「あなたは岡和田さんの世界改善運動を邪魔するのか」「今は左翼で一致団結して自民党と闘うときなんだから、少しの不満は我慢しろ」と批判が来そうです。そういう態度こそ理不尽を温存し未解決のまま引き継がせるのですがね。

岡和田さんと面と向かって話したいと思うこともありますが、そのようなことをする資格が私にあるのか、果たしてそこまで漕ぎ着けることができるのか、話したところで解決するのかという疑問があります。

こちらが諦めて黙っていればいいのかもしれません。でも、あと何回黙らされたらいいのでしょうか。あと何回屈服して、あと何回こういう苦しみを舐めれば、解放されるのでしょうか。

 

もうこんなのはたくさんです。

 

2024.5.1追記

この記事は昨年末頃から非公開にしていましたが、非公開にしているのが本当に良いことなのか迷い、一旦公開することにしました。

私と同じような苦しみを舐めている人はたくさんいると思うからです。

ところで最近は、しぐれういさんの『粛聖‼ ロリ神レクイエム☆』を聴きながら、自分が岡和田さんに粛清される様子を妄想してニヤニヤしています。とんだ変態ですが、変態にならないと生きていけないほど私は参っているのです。

https://youtube.com/watch?v=Ci_zad39Uhw&si=r-MXeY0nxqFBq3dI

 

ところで、2024年1月、私は元彼にメールして、岡和田さんが元彼宛に送ったメッセージを見せてほしいと頼みました。元彼から送られてきたメッセージのスクショには、岡和田さんが極めて冷静に、快刀乱麻を断つように、私というネット通り魔を成敗する様子が描かれていて、傷つきつつも感服しました。

岡和田さんの人間関係において、優秀なのは当たり前であり、彼のそばにいられるのは優秀な人だけなんだな、としみじみ思います。

これは能力差別とも言えそうですが、学者や知識人の世界とはそういうものなのだろうな、と辛い気持ちです。差別と闘う側の人でさえもこうなのですから、絶望的な気分になります。

 

すがぬまあゆみへ、

おまえがうちこんでいる虚無には、

いったいどんな意味があるの?

ねえ、教えてよ、晃、

ぜんぜぇーんわかんないんだ!