【短編小説】怖いのはどっち

(これはかつて私がnoteに載せていた短編です。今読み返しても面白いので再掲します)

 

 もうすっかり秋の冷気に包まれた日曜の朝、栄子は6時に起きた。

 

 眠気覚ましのために朝からスマホ片手にツイッターをだらだら眺めていると、栄子の相互フォロワーの日本史ミリヲタ垢「みなやー型護衛艦」というツイッタラーのツイートが流れてきた。

 

「韓国人って怖い。だって怒ったら何してくるかわかんないじゃん」

 

 栄子はヒヤッとした。みなやーとは結構歴史について親しく話す間柄だったが、こんな極右発言をするのを見たのは初めてだった。そして、「この人私のこと言ってる!」と心の中で叫んだ。それは「普通の人間に過ぎない自分が過剰に恐れられている」ということだった。

 そして、シャルルマーニュちゃんという相互フォローのカール大帝なりきり垢がいいねしているのを見て、「シャルルマーニュちゃん、嫌韓ネトウヨだったんだ……」と悲しくなった。

 

 朴栄子(パク・ヨンジャ)は在日朝鮮人四世だったが、ネット上ではそれを伏せ、世界史ヲタ「えいこ」として活動していた。つぶやくのは主にドイツ史についてだった。でもなぜかこの界隈にはミリヲタネトウヨも兼ねている人が多く、平和主義者で左巻きの栄子は辟易していた。

 

 栄子は思わずみなやー相手にこう返した。

 

「みなやーさん、それは日本人が怖いことをするから、韓国人も怒りのあまり自ずとそうなるのではないですか? 本当に怖いのはマジョリティですよ。それに誰だって怒ったら怖いでしょう。そういうことです」

 

 自分でも上出来の文章だと思った。

 

 栄子は相手からの返信を待っている間、自分が今まで呟きためてきたツイートを見返し、「これはいい出来だな」「これはちょっとつまんないかな」などと自己評価して暇潰しをしていた。本当は朝6時半からラジオ体操をするつもりだったのだが、ツイッターに夢中になるうちにすっぽかしてしまった。

 

 そして6時40分頃、相手がついにこう返してきた。

 

「だから怖いんだよサヨクは……」

 

サヨク」とカタカナで侮蔑的に書かれたことに、栄子はカチンと来た。なんでこんなやつと相互フォローしてんだろ。馬鹿馬鹿しい。栄子は怒りに任せてみなやーをブロックした。もちろんシャルルマーニュちゃんも。

 

 きっとみなやーは私を恨んでやいやい言うんだろうな。やれヒステリーだの、サヨクは怖いだの、チョーセン怖いだの、色々言うんだろう。はいはい、勝手に言わせておけばいい。

 そう思って、栄子はツイッターを閉じた。さ、朝ご飯作らなきゃ。栄子は台所に向かって、お茶碗に白飯をつぎ、キムチと生卵を載せて食べた。

 

 その数日後、栄子がやっている質問アプリに、匿名でこんな質問が来た。

 

「えいこさんはえいこさんじゃなくてヨンジャさんだったりするんですか?」

 

 私は「またあいつか!」とカチンと来て回答しなかった。もうあいつを通報してやろうと思い立った。そして相手のユーザーネームで検索して、みなやー型護衛艦をヘイターとして通報した。

 ふう、これであいつが消えてくれたら、一件落着。

 

 *

 

 栄子は、会社勤めの傍ら、帰りに図書館に立ち寄り、世界史に関する様々な本を借りて、家に帰って読み耽り、知的好奇心を満たしていた。

 

 そして暇さえあれば世界史好きの仲間たちと楽しくツイッターでしゃべくって日々を過ごしていた。その中には、「愛新覚羅溥儀と同じ苗字の女医が東京にいる」「インカ帝国の人は紐の結び目で意思疎通を行っていた」という真面目な世界史豆知識もあったし、「もしカエサルに現代風ダンスを踊らせるなら何がいいか」というふざけたものも含まれていた。

 

 栄子は大爆笑しながら、「BTSの『DNA』とかいんじゃね?w」と呟き、歴ヲタ仲間からも難民支援関係で繋がっている仲間からもいいねをもらった。そしてリア友のゆっこから「あんな激しく踊ったら服脱げるわwww」というコメントをもらって、「まあいいじゃん裸で踊ればwww」と返し、ゆっこから「眼福」と言われた。こうして歴ヲタトークはバンバン弾んだ。

 

 しかし、「戦争反対」「差別反対」などと左巻きの発言をするたびにフォロワーが減ったり、ブロックされたりするのが嫌だった。流石にゆっこはブロックしてこないけど、昨日まで仲良く話していた人から突然ブロックされるのは、精神的にこたえたし、ネトウヨと判明したヲタク仲間をブロックするのはいつも気が引けた。

 

 なんでこんなに、左翼は、在日は、嫌われるんだろう。私何か悪いことしたかなあ? ただ日本で韓国籍の両親から生まれて、反政府活動、反差別活動してるだけだよ? それが悪いっていうんならあんたら肉屋を崇める豚さんだ。さっさと独裁者に食われろや。ボケ。

 

 その後も次々と匿名の不快な質問は届く。

 

「みなやー型護衛艦というアカウントをどう思いますか?」

 

「キムチのツイートはしないんですか?」

 

 みなやーの奴、別垢から送信してんだな。糞野郎、鍵垢にしてやろうか。

 こうして栄子は、アカウントに鍵をかけた。でも鍵垢だとリツイートしたときに怪しまれる。それに友達と共同運営している難民支援ブログを宣伝しても効果が上がらなくなる。なのでやむなく鍵を外した。みなやーから変な質問が来ても無視すればいいだけ。

 

 でも、悲劇は起こった。

 

 栄子は難民支援ブログに、「入管の個室に閉じ込められて餓死させられそうになったベナン人仮放免者アダムさんが、国を相手取って裁判を起こしています。裁判は来週の金曜日、〇〇地裁第✕✕号法廷で10:00〜です。ぜひ傍聴にお越しください。傍聴の際の抽選の有無は裁判前日頃にホームページでご確認ください」という内容の記事を書いた。

 するとブログのコメント欄にこんなコメントがついた。なんと「あやなみ」名義だった。

 

ベナンとか知らねーよ。それよりヨンジャさんはなんのキムチが好きなの?」

 

 みなやーの態度の軽さ、しつこさに凄まじい怒りが湧いたし、一方で呆れてものも言えなかった。

 

 そして友人たちと相談し、コメントをこちらから削除した。

 

 栄子は今晩も怒り狂って眠れない。

 

 あいつ、なんでそうやって私を追いかけ回すの? なんで私にそんなにこだわるの? やめなよ。さもないと裁判起こすぞ。あんたを訴えるぞ。いつか必ず。

 

そして栄子は、ツイッターに改めてツイートを投稿した。

 

「朝鮮怖いとかほざいてるやつに警告する。本当に怖いのはお前らネトウヨだ。ネトウヨが在日にヘイトスピーチだとかチマチョゴリ切り裂き事件だとかめちゃめちゃ怖いことするから、在日の人たちも自ずと怒り狂うんだ。肉屋を崇める豚どもよ、恥を知れ」

 

このツイートは30もいいねを集めた。色んな人にリツイートされて拡散されたから、こんなにいいねされたのだろう。フォロワー100人程度のしがないアカウントが、初めて30いいねをもらった瞬間だった。

 

栄子の闘いは、まだまだ続く。みなやーが、ネトウヨが、つまんない奴らが、ネットの世界から消えるまで。

 

 *

 

 皆瀬克也は、怒っている女性、特に怒っている韓国人女性に、恐怖とも愛ともつかぬ、複雑で強烈な感情を抱いていた。

 

 もちろん彼女らに対して「怖えな、おい……」と怯む感情もあるが、母がリビングで韓ドラを見ているのに出くわすと、たまに美しい女性が朝鮮語を早口で捲し立てて怒っている。

 

 それを見て皆瀬は、胸がズキッと刺されたように痛むが、同時に興奮した気分になる。怒りに眉を釣り上げ目をかっ開くと同時に、怒りに身を任せることに快感を覚えているような韓国人女優もいた。その女優のなんと美しかったことよ。今までその女優の鬼の面相で、何回シコったことか。

 

 この性癖に呆れ果てている自分もいた。こんな変な性癖捨てられたらいいのにとも思った。でも、もっと彼女らの怒る姿が見たかった。

 

 でも皆瀬の周りに韓国人女性はいなかった。でも、ツイッターにはいくらでもいた。だからいくつも捨て垢を作り、激怒する韓国人女優の画像をネットから引っ張ってきてアイコンにし、在日朝鮮人女性に喧嘩を吹っかけては怒らせていた。

 

 しかし流石に、朝鮮半島在住の韓国人・朝鮮人に喧嘩を売る度胸はなかった。なぜなら皆瀬はほとんど朝鮮語が分からなかったからだ。しかも「あっちの人たち」を怒らせたらどんな訴訟が待っているか分かったものではない。グーグル翻訳を駆使するという手もあったが、やはり不自然な翻訳言葉は相手に見破られるだろう。

 

 実は母の知り合いの朝鮮語教師に朝鮮語の体験レッスンを申し込んで、実際に教室で発音練習などしてみたが、隣国の言葉のくせに本当に難しくて、それ以来行かなくなってしまった。

 

このままニートのツイッタラーを続けていても、母に「早く仕事を見つけなさい」と怒られるだけだ。こんな時親父に守ってほしいものだが、親父はあいにく数年前に大腸がんで亡くなった。

 

ただ、皆瀬は学生の頃から世界史は得意だった。それに戦艦も好きで、プラモもたくさん作っていた。だからツイッターで「みなやー型護衛艦」という名義のアカウントを作って、歴ヲタ・ミリヲタイッタラーとしても活躍していた。「みなやー」は「あやなみ」の逆さ読みだ。あやなみ型護衛艦という海上自衛隊護衛艦があるのだ。

 

母からは「あんたのその歴史好きをどうにか仕事に活かせないもんかねえ」と小言を言われている。鬱陶しくもあるが、自分でも母の言葉は正しいと思う。

 

 そんなときにツイッターの海で出会ったのが、「えいこ」というドイツ史垢&難民支援垢&サヨク垢だった。

 雑多な垢だなあ、なんで趣味垢と政治垢を分けないのかなあ、俺みたいな奴にブロックしてくださいって言ってるようなもんじゃん。絶対在日だろこいつ。えいこって漢字で書いたら栄子か英子だろ。じゃあヨンジャじゃん。こいつに色々仕掛けてやろうと思って、フォローした。するとえいこの方もフォローしてきた。やった! 成功だ! これからどんなちょっかいをかけてやろうかな。

 

でもえいこの側から、「みなやーさん、日本軍に関する知識量が凄いですね。尊敬します」と褒められると、とても嬉しく温かい気持ちになる。なのでちょっかいを出したいという気持ちが少し薄まる。こんないい子をいじめるなんて気が引けた。

 

それでも皆瀬は、えいこが日本政府や外国人差別にガンガン怒る様子を見ると、嬉しくて仕方なかった。俺にもその燃えんばかりの憎しみを向けてほしい。カンカンに怒ってほしい。皆瀬はえいこの怒りを心から渇望した。

 

こうしてついに皆瀬は、夜更かし明けの日曜の朝早く、試しに嫌韓ツイートをツイッターの海に放り込んでみた。

 

「韓国人って怖い。だって怒ったら何してくるかわかんないじゃん」

 

すると一つのいいねが来た。いいねしたのはシャルルマーニュちゃんという世界史なりきり垢だった。お、同志発見か? でも俺が韓国人に抱いてるような複雑な感情なんかこいつはわかんねえだろなあ。怒ってる韓国人の女がめっちゃ好きだ、韓国人の女を怒らすのが好きだって気持ち。

 

でも、捨て垢でやるべきことをメインの世界史垢でやっちまったのはヤバかった。冷や汗かいて後悔していると、えいこからリプが来た。

 

「みなやーさん、それは日本人が怖いことをするから、韓国人も怒りのあまり自ずとそうなるのではないですか? 本当に怖いのはマジョリティですよ。それに誰だって怒ったら怖いでしょう。そういうことです」

 

 皆瀬はギクッとした。これだから怖いんだよサヨクは……そして思ったことをそのままリプした。するとえいこから即ブロックされた。

 

 皆瀬はえいこのキツいリプに胸を刺されると同時に、その痛みに酔いしれてもいた。だからもっとえいこを怒らせて、その苦しい快感をもっと味わいたかった。

 

 それで皆瀬は、捨て垢に切り替え、えいこのアカウントを探し出し、「匿名の質問を受け付けています!」と書かれたリンクをタップした。そしてえいこを怒らせるための質問を何度もした。

 

「えいこさんはえいこさんじゃなくてヨンジャさんだったりするんですか?」

 

「みなやー型護衛艦というアカウントをどう思いますか?」

 

「キムチのツイートはしないんですか?」

 

どれだけ待っても、えいこからの返事は来ない。皆瀬はすっかり痺れを切らしていた。

 

そんな日々が1週間続いたある日のこと。 

 

捨て垢でえいこの垢を見に行ってみると、えいこは難民支援ブログの宣伝をしていた。

 

「入管の個室に閉じ込められて餓死させられそうになったベナン人仮放免者アダムさんが、国を相手取って裁判を起こしています。裁判は来週の金曜日、〇〇地裁第✕✕号法廷で10:00〜です。ぜひ傍聴にお越しください。傍聴の際の抽選の有無は裁判前日頃にホームページでご確認ください」

 

かっこいい。最高にかっこいい。こんなえいこにクソコメして、激怒するのを見られたらどんなに眼福だろう。

 

そして皆瀬はブログアプリのアカウントを作り、難民支援ブログに「あやなみ」名義でコメントしてやった。

 

ベナンとか知らねーよ。それよりヨンジャさんはなんのキムチが好きなの?」

 

 これで怒りの返信が来れば、ただでさえニート非モテの俺はますます性的快楽を得られる。おお、楽しみだ、楽しみだ。皆瀬はドキドキしながら、ブログをブックマークした。

 

しかし次の日、ブログを見に行ってみると、コメントが消えていた。

 え? どういうことだ? なんでこんなに俺を冷たくあしらうんだ? 

 

もう我慢できない。来週の裁判に乗り込んでやる。最近不規則な生活だけど、頑張って早起きしてやるぞ。

 

 *

 

 今日はベナン人仮放免者アダムさんの裁判のある金曜日。

 栄子は仕事の休みをなんとか取り、9時45分頃に裁判所に着いて、法廷の分厚い木の扉の前で原告のアダムさんに会った。

 アダムさんはほっそりとしたなめらかな褐色の手で、栄子の手を握り返した。

「ヨンジャさん、奈々さんから聴きましたが、今日は抽選ないみたいですね」

「ええ。そうみたいですね。もっともっと私たちの活動が注目されれば、抽選もあり得るんですけどね。もっと頑張りましょうね、一緒に」

「はい、ありがとうございます!」

 アダムさんは栄子の手を強く握ってブンブンと振った。

「アハハハ、痛いよアダムさん……」

 アダムさんはニコニコしていた。私達支援者も親しい触れ合いを通じて思わず笑顔になった。

 

 ふと、視界の端に、黒いシャツとズボンを履いた、寝癖の強いメガネの男が入ってきた。その男は私達の方をずっと見つめている。

 

 仲間の奈々が小声で、「ちょっとあいつ怪しいから訊いてくる」とその場を離れた。奈々一人だと心配なので栄子もついていった。

 奈々が男に「アダムさんの裁判の傍聴に来たんですか?」と訊くと、相手はすっと息を吸い、早口でまくし立てるように言った。

「違います、俺はヨンジャさんに会いに来ただけです。ヨンジャさんの怒ってる姿が最高にカッコいいんでリアルで見たいなと思ってそれで来たんです」

 奈々と栄子の口から「はあ!?」という呆れ声が漏れた。みなやーだ! みなやーがついてきたのだ!

 奈々が「変態は帰れ!」と叫んだ。栄子も「そーだ! 帰れ!」と応戦した。するとみなやーは「あ~やっぱり怒ってる女性はかっこいいなあ……そこに韓国人という要素が加味されるとさらに……」

 

 栄子は声の限りに叫んだ。

「うっさい! 早く出てけ! このクソネトウヨ! 肉屋を崇める豚! 死ね!」

 

奈々が栄子に「ヨンジャ、そのくらいにしなきゃ! 相手はヨンジャが怒ってるのを見るのが好きなんだから! 相手を喜ばせちゃダメ!」

 

 こうして奈々と栄子は黙ったままみなやーの腕を両側からぐいっと掴み、裁判所の警備員にみなやーを突き出し、追放させた。

 

 奈々と栄子が帰ってくると、アダムさんが「奈々さん、ヨンジャさん、かっこよかったです!」と感激していた。

 奈々は恥ずかしそうに「ありがとうございます……それはあの変態と同じ意味で言ってんじゃないですよね?」とアダムさんに訊いた。

アダムさんは「はい、もちろんです! 変態は嫌いです! 変態をやっつける人、かっこいいです!」とキラキラした目で答えた。

 それを見て栄子も奈々も、その周りの支援者たちも、自然と笑顔になった。

 アダムさんは子供のような純粋さ、明るさという才能がある。そんな素晴らしい才能を持っている人が入管で餓死しそうになっていたというのが苦しいし、腹立たしい。

 アダムさんはどれだけ辛く苦しい日々を耐えてきたのだろう。栄子も在日として、日本政府に虐げられている者として、彼への心からの連帯の気持ちが湧いた。

 

 そして眼の前の重い扉が開き、法廷は私達を迎え入れた。

 

 裁判は始終、裁判官と弁護士と被告側のボソボソ声で進められ、栄子にはあまり聴き取れなかった。それでも一生懸命メモを取った。

 

 裁判の後は外の広場に出て、弁護士の木本さんと原告のアダムさんを囲んで、今回の総括をした。

 

 入管側は、「アダムさんが暴れるからやむなく閉じ込めた。私たちは私たちの仕事をしただけだ」と主張したらしい。栄子にはそれが「上からの命令に従っただけだから、俺は悪くない」というナチ戦犯・アイヒマンの言葉に重なった。

 

 絶対に許せない。絶対に勝ってやる。こんなクソみたいな国に。そして、あんなクソみたいな変態ネトウヨにも。

 

 本当に怖いのは、お前らだ。

 

 *

 

 秋の涼風と言うにはいささか強すぎる風に吹かれ、皆瀬は泣きながら地下鉄の駅の階段を降りていた。この性癖どうすればいいんだろう。俺、どうしようもないクズだ。病院に行って診てもらうしかない。

 地下鉄を乗り継ぎ、家の最寄駅で降りる。地上に出ると、空にはすっかり昼の太陽が照っていて、皆瀬だけでなく、世界全体を柔らかく照らしていた。それだけで、なんだか慰められている気がする。風に吹かれて涙もひいていった。

 十分ほど歩いて、自宅マンションの玄関まで辿り着いた。皆瀬は七階に住んでいたので、エントランスにズラッと並ぶポストの列から自分のを探した。

 すると、自分のポストのすぐ隣に、「木下栄子」と書かれたポストを見つけた。もしかしてヨンジャ、隣の部屋なのか?

 皆瀬の目にまた涙が溜まった。そして鞄からノートを取り出すと、涙を必死でこらえながら、こう書きつけた。

 

「朴栄子さん、こんにちは。みなやー改め皆瀬克也です。先程は申し訳ありませんでした。もうあなたを怒らせたりしないように、このマンションを出て一人暮らしします。そして病院に行き、韓国人女性への歪んだ感情を診てもらい、治してもらいます。また、実家でのニート暮らしでこれ以上母を煩わせたくないという思いもあります。許していただかなくても結構です。さようなら。人違いだったらすみません」

 

皆瀬は、やけにすっきりした心地で、謝罪文を書きつけたノートの一ページを破り、ヨンジャのポストに折り曲げて入れた。そして、母に決意を告げに行くために、エレベーターのボタンを押した。