【閲覧注意】「悪いマイノリティ」

私には発達障害(ASDADHD)がある。

小中高生のころからずっと、他人にウザ絡みなどの迷惑行為を頻繁にし、それで正当防衛されたら被害者ぶって泣きわめいた。

例えば私は幼いころ、通りすがりの友達に「おはよう」とあいさつしても返事がなかった場合、何度も何度も「おはよう」を繰り返した。

そして相手に「うっさい!」と怒鳴られたら、「ギャー」と大泣きし、相手を「いじめっ子」認定した。そして私のそばからどんどん人が離れていった。

定型発達者からしたら、単なる正当防衛をいじめ呼ばわりするやつは被害者ヅラの上手いクソ野郎だ。

でも私は周囲の冷たい視線を浴びて死ぬほどつらい思いをしていた。教室でただじっと座って授業を聞いているだけで、どこからともなく陰口が聞こえ、消しゴムのかけらが飛んできた。

私みたいな「悪いマイノリティ」に出会ってしまったせいでネトウヨ化している人もたくさんいるのだろうな。「あいつはマナーを守れないくせに障害者だから守られている。ずるい」と。

「悪いマイノリティ」は、マジョリティからもマイノリティからも好かれない。少数の「悪いマイノリティ」が多数の「良いマイノリティ」のイメージまで下げてしまうからだ。

この世に差別がはびこる原因は私にも少しはあるのかも知れない。辛いけど。

 

私が発達障害者としてありのままに生きる権利を主張しづらいのは、「空気の読めない人」「ウザ絡みをする人」「迷惑行為をする人」をそのまま尊重すると公共の福祉を侵害するからだ。

なのでソーシャルスキルレーニングは必須だ。「ありのままであること」は案外暴力的なことかもしれないから、庭を手入れするように自分を手入れする必要があるのかもしれない。

私は生きているだけで辛い。「生かしてもらってるだけ感謝しろ」という侮蔑的な言葉を、自分で自分にぶつけるようになった。

私に救いはあるのだろうか。世間の差別をあまりにも内面化しすぎている。

でも、どんなに認知の歪んだ人でも、酒浸りの人でも、麻薬中毒の人でも、人権はある。差別されない権利がある。

しかし、天から与えられたその人権すらも、「美しい嘘」「頑張ってる人が得られる特権」に思えてしまうほど、私は滅入っている。辛い。

先日、「皆が対等に繋がり合い、仲良くなれる世界」を描くSFを読んだ。読了直後はその美しさに感動したが、時間を置いた今は、その理想を信じきれない自分がどっかりと心の真ん中に居座っている。

私は「世間」に汚染されすぎた。

これからどうしよう。

まあとにかく眼の前の用事を片付けていくしかない。野菜を買え。料理を作れ。ブローチを作って売れ。クジラの絵を描け。レンタルDVDを観て返却しろ。映画に字幕をつけろ。本を読め。エトセトラ、エトセトラ。