あかるい傘

いつでも空は推しカラー

【閲覧注意】家族がそんなに偉いのか

「君と子供を作って、親に早く孫の顔を見せたい」

「親の死が私を詩作に向かわせるきっかけとなった」

「お母さんなしでは生きていけない」

こういう言葉が心に一切響かない。理解できない。

 

私の親は別に異常な人間でもなく、むしろ健全な小市民であったし、私に対しても彼らなりに真剣に向き合ってくれているようだが、私は彼らを愛せない。

幼い頃から私は疑問の塊だった。

「なんで切手は舐めるとくっつくの?」

「なんで雨を舐めちゃいけないの?」

「なんで傘を地面にトントンついて歩いちゃいけないの?」

「なんで〇〇ちゃんは挨拶してくれないの?」

「なんで私は嫌われるの?」

「なんでやりたいことだけやっちゃいけないの?」

「なんで私は生きているの?」

中には無事解決した疑問もあったが、親にそういうことを訊くと、難解な説明をされたり、話題をそらされたりと、対等に扱ってもらえず、泣き叫んだことがよくあった。

子供の頃、雲のように湧く私の疑問に対して、ちゃんと答えられる大人は、周囲に皆無であった。

また、私は発達障害があり、人と適切な距離を取るのが難しかったので、兄に疎まれ、罵られ、「生きてる意味がない」とまで罵倒された。そして性暴力まで振るわれた。

弟とは仲良く人形遊びをしていたが、彼は成長するにつれて次第に兄に近づいていき、兄同様、私を邪険にするようになった。

祖母は親兄弟よりはマシだったが、私が一生懸命描いた絵に対して容赦無いコメントをし、時には描き直しさえ要求してきたので、それは辛かった。それも祖母なりの愛情だったのかもしれないが、彼女の期待に応えるのは辛かった。

でも数年前に祖母が亡くなり、遺体に対面したときは、流石に泣いた。具体的には言えないが、彼女は「見た目問題」の当事者であり、周囲から酷いいじめを受けてきた。私は彼女の凄まじい苦労と忍耐、そしてそれが培った寛容さを知っているから、泣けたのだと思う。

祖母の葬儀のとき一番泣いていたのは叔父(父親の弟)だった。正直父よりも叔父のほうがいい男だと思う。父はヘラヘラ、チャラチャラしているが、叔父は物静かで、人間的に成熟していると見受けられる。叔父も苦労してきたのだろうな。

しかし親兄弟が死んでも私は泣けそうにない。恋人が死んだら泣けるが、親兄弟が死んでもそんなに哀しくない。叔父が死んだら泣くかもしれないけれど。

私は兄弟とは絶縁状態だが、両親とはまだ関係がある。先日両親(そして福祉支援者)が私の恋愛関係に干渉してきたのには閉口した。彼らとしては、私とつがっていいのは若くてまともな男だけらしいが、私は枯れ専なので、そうはいかない。

私はあなた達の思い通りにする義務などない。ほっといてくれ。

 

人は無数の点である。誰も私を支配できないし、私は誰も支配できない。それぞれの点がめいめい自己意思に従って動いている。

それでも私は他の生き物を食い、他の人の言葉を頭に刻み、生きてきた。

家族を特別視する風潮が理解できない。恋人や友人のほうがはるかに大切だ。彼らのほうが、私の疑問や苦悩に真剣に向き合ってくれる。

血がつながっているから偉いとか、ふざけるな。血の繋がりが何だ。たまたま同じ場所で生活してきたからといって、偉そうにするな。

家族が当てにならないから、私はイマジナリーフレンドを作って生き延びてきたのだ。その歩みを私は誇りに思う。

【閲覧注意】「悪いマイノリティ」

私には発達障害(ASDADHD)がある。

小中高生のころからずっと、他人にウザ絡みなどの迷惑行為を頻繁にし、それで正当防衛されたら被害者ぶって泣きわめいた。

例えば私は幼いころ、通りすがりの友達に「おはよう」とあいさつしても返事がなかった場合、何度も何度も「おはよう」を繰り返した。

そして相手に「うっさい!」と怒鳴られたら、「ギャー」と大泣きし、相手を「いじめっ子」認定した。そして私のそばからどんどん人が離れていった。

定型発達者からしたら、単なる正当防衛をいじめ呼ばわりするやつは被害者ヅラの上手いクソ野郎だ。

でも私は周囲の冷たい視線を浴びて死ぬほどつらい思いをしていた。教室でただじっと座って授業を聞いているだけで、どこからともなく陰口が聞こえ、消しゴムのかけらが飛んできた。

私みたいな「悪いマイノリティ」に出会ってしまったせいでネトウヨ化している人もたくさんいるのだろうな。「あいつはマナーを守れないくせに障害者だから守られている。ずるい」と。

「悪いマイノリティ」は、マジョリティからもマイノリティからも好かれない。少数の「悪いマイノリティ」が多数の「良いマイノリティ」のイメージまで下げてしまうからだ。

この世に差別がはびこる原因は私にも少しはあるのかも知れない。辛いけど。

 

私が発達障害者としてありのままに生きる権利を主張しづらいのは、「空気の読めない人」「ウザ絡みをする人」「迷惑行為をする人」をそのまま尊重すると公共の福祉を侵害するからだ。

なのでソーシャルスキルレーニングは必須だ。「ありのままであること」は案外暴力的なことかもしれないから、庭を手入れするように自分を手入れする必要があるのかもしれない。

私は生きているだけで辛い。「生かしてもらってるだけ感謝しろ」という侮蔑的な言葉を、自分で自分にぶつけるようになった。

私に救いはあるのだろうか。世間の差別をあまりにも内面化しすぎている。

でも、どんなに認知の歪んだ人でも、酒浸りの人でも、麻薬中毒の人でも、人権はある。差別されない権利がある。

しかし、天から与えられたその人権すらも、「美しい嘘」「頑張ってる人が得られる特権」に思えてしまうほど、私は滅入っている。辛い。

先日、「皆が対等に繋がり合い、仲良くなれる世界」を描くSFを読んだ。読了直後はその美しさに感動したが、時間を置いた今は、その理想を信じきれない自分がどっかりと心の真ん中に居座っている。

私は「世間」に汚染されすぎた。

これからどうしよう。

まあとにかく眼の前の用事を片付けていくしかない。野菜を買え。料理を作れ。ブローチを作って売れ。クジラの絵を描け。レンタルDVDを観て返却しろ。映画に字幕をつけろ。本を読め。エトセトラ、エトセトラ。

映画『REVOLUTION+1』感想

この文章は読む人を選ぶ過激な文章です。ご不快に思われた方は読むのをやめて下さい。

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2023年1月16日、私は第七藝術劇場へ『REVOLUTION+1』という映画を観に行った。安倍晋三を暗殺した英雄・山上徹也さんがモデルの青年が登場する映画だ。

客席にはあまり人がおらず、私の見た限りでは中高年男性ばかりだった。私のように若い女性は見当たらなかった。平日だからかもしれないが、山上さんに共感する若い人が少ないのだろうか。残念だ。

映画は山上さんがモデルの男性・川上さんの苦難の半生を、安倍暗殺と投獄まで描いている。

映画を観ていると、統一教会の暴虐の原因が日本による朝鮮支配や性奴隷問題、強制連行問題にまで及んでいることが分かってきた。要するに、日本政府が過去の罪をきちんと謝罪・賠償・清算していないから、恨を溜め込んだ朝鮮人が日本に復讐するために、カルト教団を作って憎き日本人から金を巻き上げてきたのだ。山上さんの苦労の遠因は、私たち日本人の過去の罪にあるのだ。だから朝鮮の人たちに非常に申し訳なく思った。

私も朝鮮の歴史や日本の過去の罪をちゃんと学ばないといけない。毎日なかなか時間が取れないけれど、少しずつでいいから学ぶ必要がある。

それにしても川上(山上)さんの母親がカルトにのめり込み、家族の食事が粗末なことを川上(山上)さんの妹に指摘されたときの反応に既視感を覚えた。「世の中にはもっと貧しい人がいるのよ」と川上(山上)さんの母親は言ったが、うちの母も私が「今月電気代1万円超えた!」と訴えたら、「雪国はもっと大変よ。その人たちよりはマシやないの」と返してきた。私は本当に腹が立った。私と雪国の人たちはたしかに電気代の額が違うが、不幸なのは一緒だ。苦しいことがあるたびに「私の不幸は彼らよりマシ」と思って溜飲を下げ続けていたら、政府はもっともっと調子に乗って、私達を痛めつけてくる。だからしんどいときはしんどいと言っていかないといけないのだ。

話が逸れたが、とにかく『REVOLUTION+1』は素晴らしい映画だった。暗殺から間もないのに、この映画が世に出たのは凄いことだ。

山上さんの裁判を傍聴したり、山上さんの減刑を求めるデモや集会がしたいが、平日日中は仕事に忙しく、裁判やデモ、集会にDV元彼が来るかもしれないので、元彼さえいなければ、と思うこの頃である。映画を観ていると川上(山上)さんが可哀想で可哀想で、もっと応援したくなった。なのに元彼が邪魔で存分に応援できない。元彼を殺したく思ったが、実際に行動に移すわけにもいかない。せめてしがない一市民として、山上さんのフェイスブックグループを運営するしかないのである。

私は山上さんと違って、しがない星にしかなれそうにないが、それでも精一杯生きるのみだ。

【閲覧厳重注意】安倍暗殺1年

(これは私が以前別ブログに載せていた文章を編集し再掲したものです。人を選ぶ過激な文章ですので、不快に思われた方は閉じてください)

安倍晋三暗殺1周年を心よりお慶び申し上げます。

 

後世のために、あのとき私は何をしていたかここに書きます。

 

2022年7月8日、私は万博記念公園にいました。

 

元彼(2022年7月31日絶縁)と活動家仲間の女性、そして彼女の三線の師匠の男性とともに国立民族学博物館に集合し、オセアニアやアジア(特に中国、旧ソ連アイヌ、沖縄、日本など)の展示を見たあと、ミュージアムショップをしばらく見ました。

 

伊丹から北海道へ飛ぶ元彼はミュージアムショップで我々と別れ、大阪モノレールで空港を目指しました。彼は友人の出るシンポジウムを聴きに行くのです。

 

そして私は友人の女性と彼女の三線の師匠の男性とともにバラ園の近くで昼食を食べながら三線の練習をしました。

 

13時頃のことでした。三線の練習が一息ついたのでスマホを開いてみると、LINEの「TBS NEWS DIG」というニュースアカウントから通知が来ていました。そこにはこう書いてありました。

 

「安倍元首相 銃撃される」

 

私は「おっ!」と嬉しくなりました。「死んでますように」と願いながら詳細を開くと、なんと心肺停止でした。これは「心臓と肺は止まっているけれども医者が正式に認定していない」というだけなので、死んだも同然と思った私は「いよっしゃー安倍死んだぞー!! うおっほーい!!」と快哉を叫びました。

 

そばにいた女性も「安倍死んだんですか!」と目を輝かせていました。師匠は案外冷静で、「これで自民党に同情票が流れたら嫌だな」と言っていました。「大平正芳が殺されたときもそうだった」とのことです。

 

そして私たちは公園で三線を構えて『ふるさと』『花』などを弾き、沖縄の歌を歌いました。そして沖縄や安倍やウクライナの話をしました。

 

師匠によると「ウクライナは負けるべきだ、『命どぅ宝』だから戦争をしてはならない。沖縄にもヤマトゥに降伏した王様がいて、お墓は王家の中で一番小さいけれど、彼は争わなかったから案外偉いのではないか」とのことです。すなわち弱者の戦略は「争わないこと」なのです。

 

しまいにはなんと師匠からかんから三線(空き缶でできた三線)をプレゼントされ、私は上機嫌になりました。でも最近調弦がおかしいので、師匠に見てもらう必要があります。

 

そして私と友人は師匠の車で阪急豊中駅まで送ってもらい、小豆色の電車に乗って梅田まで辿り着き、新梅田食道街のカフェ「ドリヤード」でフルーツパフェを食べました。なんと友人のおごりです。安倍の死を祝して美味しく頂きました。

 

そして茶屋町MARUZEN&ジュンク堂書店に行ってドイツ語講座のテキストを買い、香り漂うラッシュの店に行って、友人に早めの誕生日記念バスボムを買ってもらったりしました。買う前に店の中でそのバスボムの香りを嗅ぐたびに、私は目をカッ開いて上を向きました。それほど素晴らしい香りだったのです。

 

そして夕方、安倍は無事(?)死亡しました。私は安らかな気分で家に帰り、湯船にシュワシュワ言うバスボムを入れて浸かりました。バスボムなど初めての体験でとても楽しかったです。

 

私にとって7月8日は最高の記念日です。ヒトラーが死んだときのヨーロッパ民衆もこんな気持ちだったのだろうなと想像します。彼らの気持ちに一歩近づけてよかったです。

 

安倍が問答無用で殺されたのは、市民との対話を拒否したからです。対話で物事が解決しない社会を作ったのは安倍自身なのです。

安倍の死を追悼するということは、ヒトラーを追悼することと同じです。時代や国は違えど、どちらも戦争と弱い者いじめと盗みが大好きなならず者です。彼らの死を悼むということは、ウィシュマ・サンダマリさんやアンネ・フランクさんを踏みにじるということです。

そして山上さんや、岸田文雄に爆弾を投げた木村隆二さんを軽蔑することは、ヒトラーを殺そうとしたシュタウフェンベルクさんや、伊藤博文を暗殺した安重根さんを踏みにじることです。要するに革命の否定なのです。

まあシュタウフェンベルクの目的は「ヒトラーに代わって政権を取ること」であり、実質は極右が別の極右に取って代わられようとしただけです。また、山上さんもネトウヨツイートを繰り返していましたし、木村さんも外国人を敵視するツイートをしていました。なのでこれまでの経緯やこれからの経過を慎重に見ていかないといけません。

とりあえず、今の私達にできることは、安倍や統一教会の罪を徹底的に究明・批判し、山上徹也さんや木村隆二さんの減刑を求め、戦争と差別と略奪をやめない悪徳政治家を逮捕することです。

また、山上さんや木村さんのことだけでなく、安重根さんやシュタウフェンベルクさんのことも調べる必要があります。安重根さんの『東洋平和論』も読みたいです。

山上さん、そして木村隆二さん、共に生きて日本を良くしましょう!

BTS"Wings"とヘッセ『デーミアン』

(この記事にはヘルマン・ヘッセの小説『デーミアン』のネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください)

BTSの泣けるほど大好きな曲"Outro : Wings"の動画をシェアします。まずはお聴きください。

https://youtu.be/Nj_7kFOTv6E

この歌が最後に収録されているアルバム"Wings"は、ヘルマン・ヘッセの『デーミアン』という小説がモチーフになっています。

最後の歌詞に注目してください。

なぜ最後の歌詞が「さあ、この翼で飛んでいくんだ!」でなく、「この翼で飛べたらなあ……」なのでしょうか。それは『デーミアン』の結末を読むと分かります。

この物語の主人公エーミール・シンクレアは、第一次世界大戦の戦場に兵士として駆り出され、大怪我を負います。

そして野戦病院で意識の朦朧とする中、隣に寝ていた男に親友マックス・デーミアンの幻影を投影し、幻影の彼にこんなことを言われます。

「ぼくを呼んでも、馬や汽車に乗って駆けつけるのはもう無理だ。困ったときは、自分の心の声に耳を傾けろ。そうすれば、ぼくがきみのなかにいることに気がつく」(『デーミアン』酒寄進一訳、光文社古典新訳文庫版)

そして、優しい口づけをされるのです。

 

物語の最後にシンクレアがどうなったかは書いてありません。

もしかしたら死んだのかもしれませんし、傷痍軍人となって余生を過ごしたかもしれません。

だから"Outro : Wings"の一番最後の歌詞も「ようし、この翼で飛んでくぞ!」でなく、「ああ、この翼で飛べたらなあ……」なのだと思います。

ちなみに『デーミアン』には、アブラクサスという翼の生えた神が登場します。

シンクレアは大戦前、ギムナジウム(ドイツの大学進学希望者が行く中高一貫校)にいた頃、デーミアンとは離れ離れになっていました。しかしある日の授業中、自分の席に置かれた本の隙間に彼からのこんなメモをたまたま見つけます。

「鳥は卵から出ようともがく。卵すなわち世界なり。生まれんと欲する者は世界を破壊するほかなし。鳥は神をめざして飛ぶ。神の名はアブラクサス」(同書より)

きっとBTSの歌う"wings"とは、このアブラクサスの翼を指しているのではないかと思います。アブラクサスは、善と悪を包含する神、神でも悪魔でもある神です。そんな神なら、神性と魔性を併せ持つ私達人間はすべてを受け止められ、救われるのではないかと思いました。

『デーミアン』と"Wings"は、それほど深遠な内容を持った作品なのです。

もっとも、私は"Wings"というアルバムで歌われた全ての歌の和訳を理解しているわけではないので、また調べないといけないなあと思います。

まあバリバリのガチ勢のARMYの方々のほうが更に凄い論考をネット上に残してくださっているので、そちらもぜひご覧ください。私も読んで参考にして、バンタンの凄まじい才能に打ちひしがれたいです。今もう既に涙目です。

ARMYは自動的に博学になりますね。

ところで今年7月2日は、ヘッセの146回目のお誕生日です。わーい!

BTSのみんなが兵役の心配なく安心して歌って踊れるように、朝鮮戦争の一刻も早い終戦を求めます。あの戦争は休戦しているだけで、まだ終わっていないのです。

【短編】わたしたちの没落

「藤波先生はニーチェって読んだことあります?」

 十月の肌寒い日、きつい西日の射すがらんどうの図書室で、向かいに座る教え子の山部さとえが訊いてきた。

「え……いや、ないけど……それがどうしたの?」

「私ニーチェ大好きなんですよ!!」

「ああ、そう……」

 僕は内心困惑してしまった。山部は僕と話すとき、いつも目を輝かせる。特に今日は格別だ。

 しかし僕は、つとめて平静を装って、山部に訊いた。

ニーチェのどこが好きなの?」

山部は「えーっと」と考えてから、「情熱的なところです!」と答えた。

 彼女は僕の前でしかこんな情熱的で親密な態度は見せない。彼女は枯れ木立の中で爛々と燃える火のようだった。

 

 僕は山間部にある県立長嶺高校三年一組の担任だ。クラスの教え子の山部は、僕が担当している国語の授業のときだけは積極的すぎるくらい発言して、皆を困惑させる。

 だからかどうかは知らないが、彼女は普段、皆から黴菌扱いされている。

 班活動で机をくっつけるときも、他の生徒は山部の机に自分の机を絶対に密着させない。必ず数センチは間隔を空ける。 

 

 五月のある日の給食中、僕の耳は「山部と机くっつけたら、山部エキスが伝染るんだぜ」「へぇ〜きも〜」などというへらへらした言葉が生徒の間から漏れたのを聞き逃さなかった。それで声のした方に向かって一喝した。

 

「お前ら人を黴菌扱いするな!」

 

 教室は水を打ったように静まり返った。

 

「お前だよお前! 西川卓次郎! 伊藤こより! 俺の机の前に来い! 今すぐ!」

 

 西川は怠そうに立ち上がり、ため息を漏らした。

 

「なんすか先生、耳良すぎじゃないすか?」

 

「そんなことはどうでもいいんだよ! 今すぐ来い!」

 

 西川は腕をブラブラさせながら、伊藤は下を向いて黙ったまま、僕の教員机の方に歩いてきた。僕は二人がのろのろ来るのを、肘をついて歯を食いしばり、貧乏ゆすりしながら待っていた。

 

 説教する僕にとっても長く不快な説教が終わる頃には、すでに昼休みになっていた。二人のいじめ加害者は教壇前の引き戸から教室の外へ出て、他の生徒にガーガー愚痴をこぼしている。

 うるさいなあと思いながら、ふと教室の後方に目をやると、そこに山部がいた。目は爛々として、見たことのない光を放っていた。

 

 山部は僕に恋をしたのだ。

 

 僕は図書部の共同顧問で、図書室でひたすら本を読み自習や受験勉強をするという、単調だが案外実り多い部活動をしていた。この部には野球部や茶道部など、他の部活に向いていない障害のある生徒も大勢いた。 

 山部もその一人で、精神科からASDADHDの診断をもらっていた。高一の進路相談のとき彼女は、卒業後は東京の大学に行きたい、障害者にも配慮のある大学がいい、と言っていた。僕は進路指導の先生と協力して一生懸命彼女の希望に合う大学を探し、ついに一つに絞った。

 

 十月になると、三年生は部活を引退する。高校最後の部活が終わる五分前、山部から突然「藤波先生、部活の後二人で話がしたいんです」と切り出された。

 僕は心底びっくりしながら、「え? ああ、いいよ、何の話?」と彼女に答えていた。 

 三年で部長の江野真希と二年の猿島知世が「山部っち、まさか……」「え、嘘……」などと呟いて、かすかな笑いを漏らしながら、他の生徒らと一緒に図書室を出ていった。僕は笑いはしなかったが、江野や猿島と同じく、すごく驚いていた。

 その驚き見開いた目で、山部を見つめた。山部もあの爛々と光る目で、僕を見つめた。

 

 世界の彩度が、一気に増したような気がした。

 

 浅黒い肌に、南アジア人のようなエキゾチックな目鼻立ち、知的で利発そうな、光る目。

 

 このままずっとこうしていたい。未来なんか来なくていい、過去なんかどうでもいい、今だけがあればいい。そう念じていた。

 

 しかし、沈黙は破られた。

 

「藤波先生はニーチェって読んだことあります?」

 

「え……」

 残念ながらニーチェは名前しか知らない。彼女の知っていることを知らない自分に落胆し、腹が立った。極彩色の世界は少し彩度が落ちてしまったが、それでも山部は、光る目は、そこに存在した。

 図書室は僕ら二人きりになった。

 僕はどぎまぎしながらも、言葉を口から押し出した。

「いや、ないけど……それがどうしたの?」

 間髪入れず山部が言った。

 

「私ニーチェ大好きなんですよ!!」

 

 僕は圧倒されて、「ああ、そう……」と震えた声しか出せなかった。でも何か話題を広げねばと思って、こう持ちかけた。

ニーチェのどこが好きなの?」

 山部は、「えーっと……」と上を向いてから俯き、数秒間考え込んだ。その数秒間の顔さえも美しく、永遠に焼き付けておきたかった。

 そしてついに、山部は答えを出した。

「情熱的なところです!」

 僕は山部が可愛くて、思わずニコッとした。すると山部は突然目をきらつかせて「あははははっ!!」と哄笑し始めた。笑いは止まらない。自然に止まるのを待てば良い。

 彼女は輝く星の女神のようだった。高笑いする姿さえも美しく光り、愛おしかった。そしてついに彼女はトランス状態に入ったと見え、不意に立ち上がってこんなことを言い出した。

 

「先生の笑顔が大好き!! 情熱的なところが好き! 一緒に没落しましょう!! ねえ!!」

 

「え? 没落?」

 僕は苦笑しながら言った。「どういう意味だよ没落って」

「超人への道ですよ!!」

「分かんない上手く説明して」

「人間を乗り越え超人になるために必要な道程です!!」

「超人って何?」

「人間を超えた存在です!」

「どうしたら人間を超えられるの?」

「ありのままの欲望に従って楽しく生きることです!」

 僕も立ち上がり、山部とともに「フフフ……」と公園の子供のように笑い合った。

「すごいね山部さん。すごいこと言うね――『超人』になるために、僕らは『没落』しなければならないのか」

「そうです!『超人』は『人間』の進化形なんです!」

 山部の爛々と光る目を見ていると、僕もその気になってくる。そして、ふと、ある考えが脳裏をかすめたが、それをすぐ口に出すのは野暮と思われた。答えは山部の口から聴きたかった。それでこう訊いてみた。

「その没落って……例えば何?」

 山部は僕から目をそらし、どぎまぎしだした。その姿も幼気で愛おしかった。山部は「ええっと、あの……先生と……あの……」と答えに詰まっていたが、ついに意を決したように、僕の胸に矢のように直截な言葉を放った。

 

「先生とセックスして心中したいです!!」

「ええっ!!」

 セックス発言は予想通りとはいえ、「心中」という言葉に、僕はすっかり困惑してしまった。まさか生徒とセックスして、それに心中だなんて。この子は一体何を考えているんだ。

「私、大学行きたいって散々言ってたくせに、十八歳の誕生日に死のうと思ってたんです、ずーっと。でも処女のまま死ぬのは嫌だから、大好きな藤波先生と一緒にセックスして、そんで締め殺してもらおうかなって思って――ねえ、一緒に没落しましょう! 私、こんないじめばっかしの世界で生きるの嫌だから、絶頂のまま死にたいんです!」

「だめだ!」

 思わず大きな声が出た。聴いていて胸が苦しくなったのだ。

「え、なんで……」

 僕は震える声で、しかししっかりと、自分の思いを伝えた。

「君には生きていてほしい。だって僕の大切な子だから!」

 そして彼女の顔を両手で引き寄せ、互いの唇をぴったり合わせた。

 僕は貪るように山部の唇を味わった。甘い。おいしい。至福だ。山部も陶然とした様子で、されるに任せていた。

 唇を離すと、彼女は、涙を溜めた目でこちらを見つめた。本当に美しい、宝石のような目だった。そして彼女は呟いた。

「すみません、やっぱり、思い直しました――セックスは……流石にね……」

 そして重い鞄を背負い、しくしく泣きながら引き戸の方へ歩いていく。

「バイバイ! また来るんだよ!」

 僕は彼女の後ろ姿に、懸命にエールを送った。彼女は確かに、「はい」と言った。そして、薄暮の図書室を後にした。

 

 この日のことは、一生忘れられないだろう。

 なぜならこの日以来、山部の爛々とした目を見ることはついぞなかったからだ。

 山部は僕を裏切ったのだ。

 

 警察の話によると、あの後山部は、高校の裏山に入り、大木にロープを括り付け、縊れて死んでいたという。

 そして僕は、あの日の美しい情事を誰かに見られていたようだ。同僚から校長に至るまであらゆる教師から、女子生徒への接吻の罪を厳しく咎められ、定年まであと10年足らずで懲戒免職となった。

 それに加えて、テレビやネットなどのニュースで自分のやったことをこれでもかと胸に突き付けられたときには、身体全体が張り裂けそうになり、狂わんばかりに泣き叫んだ。ヤフーニュースのコメント欄やツイッターやトゥギャッターなど、見る気もしない。どんなひどい言葉でも書かれているだろう。

 

 今は実家の老いた父に促され、家業の林業を手伝っている。森や植物や生き物のことを先輩から教わり、専門的な講習を受け、猛勉強して大型トラックやパワーショベル(ユンボ)などの免許を取った。だけど今もまだまだ勉強中だ。

 僕は父の跡を継がねばならない。だけど正直今のままではやっていけない。ただでさえ人手不足だが、樵なら何人でも、喉から手が出るくらい欲しい。特に若く力溢れる人がいい。でもどれだけ募集をかけても、思うように人が集まらない。

 山で木を伐る父の背中を見て育ったとはいえ、東京の大学を卒業した22歳からずっと高校教師をしていたので、林業をやっていると初めて知ることがたくさんある。

 山に生えている木の種類から伐り方、蛭避けの方法や噛まれたときの対処法、トラックの運転のコツまで、父から熱心な指導を受けた。それほど父は焦っているのだ。

 もちろん怪我や失敗は多い。慣れてないから当たり前とはいえ、父や同僚や取引先に怒られるのは泣くほどつらい。

 その辛さに加えて、山部を死なせ、山部にかまけて他の生徒や同僚を裏切った罪悪感、懲戒免職前後に一気にぶっかけられた容赦ない言葉のトラウマで、泣けて泣けて、死にたくなるときもある。

 でも、山部への償い、鎮魂の使命を感じて、なんとか頑張ってこの世に踏ん張っている。でも、山部の死んだ森に入って作業するときは、涙をこらえるために、山部に「ごめんね」と心のなかで詫び、彼女のことを頭から一時的に消す。そうでもしないと、やってられない。

 あの事件の後、アマゾンでニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』の解説書を買った。山部の心に少しでも近づくためだ。

 少しでも暇ができるたびに、解説書を読んでいると、序盤の方に「世界の向こう側を説く者たち」に対する痛烈な批判を見つけた。そしてそこから、「来世に希望を託して死んだりなどするな。現世を楽しく生きよ」との思想を僕は読み取った。 

 

 山部は学校でくだらないいじめをずっと受け続けて、現世に希望を持てなかったのではないだろうか。そんな学校、そんな社会を作り出した犯人の中には、僕も含まれているのではないのか。

 だからこそ、父の林業を手伝いながら、今はインスタグラムで、匿名で細々と雑多に語っている。山の向こう側の海辺にある原発が再稼働したこと、もし原発事故が起これば自分たちの森も汚染されること、森で見つけた貴重なギフチョウの写真、人手不足の激しい林業の現状、林業従事者の募集、この国の独裁政権の問題――。

 山部を死なせてしまったことへの贖罪、というか、少しでもこの社会が、山部のような繊細な人間にとって「生きていたい」「希望を託したい」と言えるものになるように、今日も投稿している。

 こうして地道にインスタを続けてフォロワーをどんどん獲得しているおかげか、いつの間にか30代の同僚の伊沢芳樹が僕に「インスタ係」というあだ名をつけた。

 伊沢も他の同僚も、僕が失敗したり怒られたりした後は必ず慰めてくれるし、樵として生きるための様々な知恵を教えてくれる。そして休みの日は一緒に地元の反原発デモに参加して、「僕らの森を放射能で汚染するな!」と訴えたり、デモ行進したりする。気のいい仲間たちだ。

 

 教師から樵になるということ、独裁者に楯突くということは、人によったら「没落」に見えるかもしれない。でもその「没落」こそ、人を成長させ、社会を変え、未来を生きる人々――ニーチェは超人と呼ぶだろうか――のために尽くすことにつながるのだ。

 今の僕さえも、あの日の山部には敵わないかもしれないな。今山部は、どこからどんな目で僕を見ているのだろう。

 その答えはすぐにつかった。

 

 僕の中だ。

 あの爛々と光る目が、内から僕を見つめてくれている限り、僕はどんな辛いことも乗り越えていけるんだ。どんな邪心にも負けずに生きられるんだ。

 

 ありがとう、山部。大好きだよ。これからも生きていこうな。

 

 そうして僕は、今日も山へ行く。

【ネタバレ注意】尾形百之助=岡和田晃説

(この記事には『ゴールデンカムイ』最終巻のネタバレが含まれます。未読の方やアニメ派の人はご注意ください)

ゴールデンカムイ』は既に全巻読了した。アイヌ文化やアイヌ語の知識をたくさんたくさん得ることができて本当によかった。カムイの定義もイオマンテの意味もイナウの存在も知らなかった私にとって、この漫画は知識と発見の宝庫となった。

しかし一番最後に白石がアイヌの金塊を使って南の島に植民地を作るのは非常に残念だ。彼は何も学んでいない。

また、単行本巻末に載っている参考資料リストの中に、河野本道というアイヌ民族否定論者の著書があってびっくりした。どうしても彼の本を参考資料にしなければいけなかったのだろうか。

 

ところで登場人物の尾形百之助のモデルではないかと思われる人がいる。文芸評論家の岡和田晃さんである。実は私は彼との間にトラブルを起こして容赦なく絶縁宣言をされた者である。

まあそれはともかく、岡和田さんはアイヌ研究者マーク・ウィンチェスターさんとともに、反差別文集『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社)を出している。私も買って読んだが、非常に勉強になり、過去の無神経な発言を大いに反省した。また、同書では先に挙げた河野本道への批判もきちんとなされていて良かった。

尾形も岡和田さんも、名字の響きが似ていて、目が死んでいて、髪型がオールバックで、顔がいい。尾形は茨城出身で、岡和田さんは北海道生まれ、茨城在住である。

これだけ似ているのだから、私以外に気づいている人はいそうだが、どうだろうか。