「君と子供を作って、親に早く孫の顔を見せたい」
「親の死が私を詩作に向かわせるきっかけとなった」
「お母さんなしでは生きていけない」
こういう言葉が心に一切響かない。理解できない。
私の親は別に異常な人間でもなく、むしろ健全な小市民であったし、私に対しても彼らなりに真剣に向き合ってくれているようだが、私は彼らを愛せない。
幼い頃から私は疑問の塊だった。
「なんで切手は舐めるとくっつくの?」
「なんで雨を舐めちゃいけないの?」
「なんで傘を地面にトントンついて歩いちゃいけないの?」
「なんで〇〇ちゃんは挨拶してくれないの?」
「なんで私は嫌われるの?」
「なんでやりたいことだけやっちゃいけないの?」
「なんで私は生きているの?」
中には無事解決した疑問もあったが、親にそういうことを訊くと、難解な説明をされたり、話題をそらされたりと、対等に扱ってもらえず、泣き叫んだことがよくあった。
子供の頃、雲のように湧く私の疑問に対して、ちゃんと答えられる大人は、周囲に皆無であった。
また、私は発達障害があり、人と適切な距離を取るのが難しかったので、兄に疎まれ、罵られ、「生きてる意味がない」とまで罵倒された。そして性暴力まで振るわれた。
弟とは仲良く人形遊びをしていたが、彼は成長するにつれて次第に兄に近づいていき、兄同様、私を邪険にするようになった。
祖母は親兄弟よりはマシだったが、私が一生懸命描いた絵に対して容赦無いコメントをし、時には描き直しさえ要求してきたので、それは辛かった。それも祖母なりの愛情だったのかもしれないが、彼女の期待に応えるのは辛かった。
でも数年前に祖母が亡くなり、遺体に対面したときは、流石に泣いた。具体的には言えないが、彼女は「見た目問題」の当事者であり、周囲から酷いいじめを受けてきた。私は彼女の凄まじい苦労と忍耐、そしてそれが培った寛容さを知っているから、泣けたのだと思う。
祖母の葬儀のとき一番泣いていたのは叔父(父親の弟)だった。正直父よりも叔父のほうがいい男だと思う。父はヘラヘラ、チャラチャラしているが、叔父は物静かで、人間的に成熟していると見受けられる。叔父も苦労してきたのだろうな。
しかし親兄弟が死んでも私は泣けそうにない。恋人が死んだら泣けるが、親兄弟が死んでもそんなに哀しくない。叔父が死んだら泣くかもしれないけれど。
私は兄弟とは絶縁状態だが、両親とはまだ関係がある。先日両親(そして福祉支援者)が私の恋愛関係に干渉してきたのには閉口した。彼らとしては、私とつがっていいのは若くてまともな男だけらしいが、私は枯れ専なので、そうはいかない。
私はあなた達の思い通りにする義務などない。ほっといてくれ。
人は無数の点である。誰も私を支配できないし、私は誰も支配できない。それぞれの点がめいめい自己意思に従って動いている。
それでも私は他の生き物を食い、他の人の言葉を頭に刻み、生きてきた。
家族を特別視する風潮が理解できない。恋人や友人のほうがはるかに大切だ。彼らのほうが、私の疑問や苦悩に真剣に向き合ってくれる。
血がつながっているから偉いとか、ふざけるな。血の繋がりが何だ。たまたま同じ場所で生活してきたからといって、偉そうにするな。
家族が当てにならないから、私はイマジナリーフレンドを作って生き延びてきたのだ。その歩みを私は誇りに思う。