明るい傘 菅沼亜由美のブログ

ASD/ADHD/HSP 昔やっていたサイトの続きみたいなものです。

岡和田晃さんの容赦なさについて

(今から書く話は私の中ではまだ終わっていません。現在進行形です。個人的な感想を未整理のまま書きましたのでご寛恕下さい。生きていくうちに思想が変わったらまた別記事にまとめるかもしれません)

 

こんにちは。

文芸評論家の岡和田晃さんとの間にあったことを語っておこうと思います。もしかしたらプライバシー侵害や二次加害になるかもしれませんが、彼の容赦ない対応について語らずにはいられないほど、私は傷ついて、心がぐちゃぐちゃになっています。

同じく彼に冷たくされた作家の佐藤亜紀さんのためにも、彼のB面を書き残しておきたいのです。私が救われなくてもあの人だけは救われてほしいと思うのです。

この記事を書く上で過去のスクショや文章のアーカイブスマホやパソコンで調べましたが、間違いがあるかもしれません。見つけ次第訂正していきます(この際参考にしたデータの中には、2023年8月にスマホを修理に出した際に消えてしまったデータもあります)。

 

岡和田晃さんは、私の被害者です。ネット上での鬱陶しい絡みと、プライバシー侵害の被害者です。

そして私は、それを理由に彼から間接的に絶縁宣言され、精神を病み、彼への執着を捨てきれず、彼にしつこく手紙やメールを出してしまった者です。ここ最近は手紙やメールを送っていませんが、ストーカーとして糾弾されても仕方がありません。本当に恥ずかしいです。

岡和田さんを知ったのは、当時別居しながら付き合っていた元彼(2020年8月29日初対面。私にDVと洗脳を行い2022年7月31日にこちらから絶縁)の友人の北大准教授・丹菊逸治先生のFB投稿のコメント欄を見たときでした。初めて見たときから岡和田さんには興味を惹かれていました。なんだか難しいコメントが多かったですが、薫り高い文章を書く人だなあと思いました。

元彼は岡和田さんとも丹菊先生とも面識があり、FB友達でした。3人は「アイヌの人権活動」というキーワードで繋がっており、岡和田さんと丹菊先生は『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社)という反差別文集の執筆陣に名を連ねています。

そして元彼は「アイヌ民族否定論(アイヌ民族の存在を否定する差別的言説)」を批判する研究会を主催したことがあります。

私は、2020年の秋か冬に、丹菊先生への友達リクエストが承認され、FB友達になりました。丹菊先生は右も左も分からない私にとても優しく辛抱強く接してくださり、今でも感謝の念が絶えません。本当にありがとうございます。

 

岡和田さんと私のファーストコンタクトは確か、2021年10月16日のことでした。スマホのスクショを調べた結果、10月16日頃と推測されます。

彼は、自身がフェイスブック上に載せていた「性的指向性的嗜好の混同は大きな問題である」(2021年7月4日付)という内容の公開投稿に、友達でもない私に突然「性的指向性的嗜好って一緒じゃないんですか?」と踏み込んだ内容のコメントをされてびっくりしたそうです。

私は岡和田さんやそのお仲間たちにヘイターと勘違いされ、「性犯罪と闘う岡和田さんの社会改善運動を邪魔するのか」などときつい態度を取られましたが、元彼が「この人(私)は俺の連れ合いです」とコメントしてその場を執り成してくれたことでなんとか場が収まりました。

元彼からは「友達ちゃう人のとこにコメントするときは、『横から失礼します』とか、『誰々の友達の〇〇です』って言いや」とアドバイスされました。

ちなみに書いておくと、「性的指向」とは同性愛、異性愛両性愛全性愛、無性愛の類です。そして「性的嗜好」とは、SM、リョナ、小児性愛、犯罪性愛、動物性愛、死体性愛、人形性愛の類です。よくこの2つは別々とされていますが、私は別々にする理由が未だに分かりません。どちらも要するに「誰を好きになるか」「どんな人を好きになるか」ということなのに。

性的指向は変わらないけど性的嗜好は変わる」という言説もありますが、「昔は同性愛傾向が強かったが年取ったらそれが薄れてきた」という人もいます。また、「思春期の頃はロリコン傾向が強かったが今は薄らいできた」という人もいます。

性的嗜好性的指向も変わりうるのです。しかしだからといって強制的に変えてはなりません。また、どんな性的好みであっても、性暴力が起きないように適切な欲望の処理の仕方を学ぶことは大切です。ロリコンならラブドールやアニメ、生成AIなどで発散したほうが、幼女を襲わずに済みます。でもエロアニメの真似をして性犯罪をする人もいるので難しいです。

数年前にFBで自分の性的嗜好(犯罪性愛)を「ただの趣味でしょ」「セクマイじゃないよ」と言われたときは本当にムカつきました。性的指向性的嗜好を分けるからそんな発言ができるのではないでしょうか。人の性的好みを侮辱することは許されません。

私は犯罪者が罪を犯すまでの悲しい事情に同情して好きになります。それは決して「趣味」などという軽いものではなく、生き方そのものです。

 

岡和田さんとのファーストコンタクトの後、私は丹菊先生のFB投稿に寄せられた彼のコメントに返信してもことごとく無視されるので、おかしいなと感じていました。

今考えたら、無視された時点でこちらからブロックすればよかったのです。向こうは私を嫌がっているわけですし、こちらから黙ってブロックしてしまえば、安全にフェードアウトできたはずです。それなのにそうしなかったのは、私の執念深さ故の失敗です。

 

そして2022年2月10日、私は彼の返事が欲しくて欲しくてたまらなくなり、彼のFB投稿をどんどん見て、いいねして、コメントを書いたりしました。

私は彼が自分の娘さんのイマジナリーフレンドに関してFB公開投稿に記していたのを見つけたので、同じくイマジナリーフレンド保持者である私は強く興味を惹かれました。

それで同じ日、娘さんのイマジナリーフレンドに関する2つの投稿のリンクを、自分のFB投稿に無断転載しました。そしてその翌日未明(2022年2月11日3:22)、私がやっていた犯罪性愛(犯罪者に惹かれる性的嗜好。犯罪の正当化もセットでついてくるとは限らない)に関するブログにも転載しました。

ちなみにそのブログは現在非公開にしています。今の自分の価値観では到底許容できない記事のオンパレードですので……。

FB投稿の方には、「友達の友達の娘さん」と、岡和田さんの娘さんのことはぼかして書いていましたが、ブログに転載する際に調子に乗って情報露出欲を出してしまい、「友達の友達・岡和田晃さんの娘さん」と実名を出してしまいました。本当に申し訳なく思っています。

2023年6月24日現在、転載した2つのリンクのうち2つ目(2021年10月31日9:39付)は見られますが、1つ目は見られません。

転載した時点では全く悪いとは感じていませんでした。公開投稿だし大丈夫だろう、という感じです。

そしておそらく同じ日、私は彼から何らかの良いリアクションが欲しくて、彼に友達リクエストさえ送信しました。彼がプロフィールに「友達リクエストを申請していいのは読者の方か、実際にお目にかかったことのある人だけです」と書いていたのを無視して……。

こうして、彼の本の読者でもなく面識もない私は彼に友達リクエストを送り、容赦なくブロックされました。ブロックされたのを確認したのは2022年2月20日です。

ブロックされた直後は大泣きしました。彼がこの世から消えたらいいのに、と思うほどでした。

 

そして傷はなかなか癒えず、2022年7月29日頃、私は岡和田さんのnote(文章・画像などの投稿サイト)のプロフィールにアクセスし、「クリエイターへのお問い合わせ」機能を使って、「あなたは私という障害者に対する配慮がなさすぎます。謝罪してください」とメールを送りました。下書きは前日の28日にスマホのドキュメントアプリに保存していました。

そしてその日のうちに、岡和田さんは元彼のメールアドレスに文章を送ってきました。私に送らず元彼に送るというのが、私に対する徹底的な嫌悪を表しています。そして元彼が岡和田さんのメールを私のメッセンジャーに転載して見せてくれました。

そこにはこう書いてありました。

 

あなたの彼女に絡まれてウザかったこと。

あなたの彼女を無視していたのは拒絶の意思表示だったのに、無視されて絡まれ続けて嫌だったこと。

あなたの彼女が悪意のない犯罪性愛者であることは分かるが、娘のプライバシーに関わる投稿を犯罪性愛に関するサイトに無断転載されたことで、娘を「犯罪」や「性愛」に結び付けられ、それが決定的に嫌だったこと。

あなたの彼女にも良いところがあればブロックしなくて済むのだが、彼女のブログを見てもいいと思える記事が一切なかったこと。

そして、これは許すとか許さないの話ではない、もう絶縁する。

 

私は真夏の路上でその文章を読んだのですが、読み終わった途端発狂しました。足を動かすのも辛く、家に帰るのも一苦労でした。

元彼は半狂乱になっている私にこう言いました。

「岡和田さん、あんたにきついけど、あれが普通ちゃうかな」

私をここまで苦しめる人が「普通」だなんて、酷すぎます。苦しむ人を目の前にして、一体何を言っているのでしょうか。自分が言われたらどう感じるか考えてみるべきです。

そして翌日の7月30日頃、元彼は岡和田さんからもう一通メールをもらいましたが、元彼は「内容がきつすぎるから見ん方がええ」と言って見せてくれませんでした。

その代わり、元彼は内容をかいつまんで話してくれました。

「もっと本を読め。人と交流しろ。場の雰囲気を読め。ニーチェの言う『虚無』に向かい合っているという点では、私もあなたの彼女も同じである」

私は岡和田さんのことをただただ鬼のような人と思っていたので、案外優しい言葉をかけられて嬉しかったです。

「岡和田さんも鬼やないんやな」と私が元彼に言うと、元彼は、「岡和田さんに失礼やぞ。岡和田さんに言うたるわ」と怒っていました。

そして元彼は、「岡和田さんにはあんたが傷ついとったこと言うたるわ。あんたという発達障害者に対する配慮がない」と言いましたが、私は「二次加害になるからやめて」と制しました。

少なくとも7月29日と30日は、元彼は私の家にいましたが、7月31日、元彼は私の家でなく自分の家にいました。私達はお互いの家を行き来しあっていたのです。

31日昼にメッセンジャーで「俺の家に来い! スマホ(あるいはパソコンか)のこと分からんから教えろ!」としきりに要求する元彼に、私は強い嫌気が差しました。私は彼にこれ以上搾取されたくなくて、メッセンジャーで「他の人に聞いて。あんたはDV男や」という旨の宣告をし、こちらからブロックして絶縁しまいました。

 

それからも私はフェイスブックを続けていましたが、岡和田さんが丹菊先生の投稿にコメントしていても、ブロックされているので彼のコメント内容が見られません。

「コメント1件」と表示されているのに内容が見られないとき、私は発狂して死にそうになりました。

なので私は辛さが限界に達して、2023年1月にフェイスブックのアカウントを削除しました。

一時丹菊先生やアイヌにさえも、岡和田さんに対する加害のトラウマが飛び火したので、精神科医によるトラウマ療法が必要ではないかと感じています。

 

ここまで長々と愚痴ってきましたが、岡和田さんは被害者なのですからガンガン怒って当然です。

加害者である私を思いやってやる義務などありません。

いくらこちらが加害のトラウマで死にそうでも、逆ギレしたり思いやりを求めたりするなど論外です。

しかしまあ、私でなく元彼にメールを送るというのは、陰口に思えます。岡和田さんは私を「ことばのつうじないひと」として見下しているのではないかと思います。

元彼がよくFB上で私のことを「関係ないコメントするな! 今すぐ消せ!」と叱りつけていたので、もしかしたら岡和田さんはそれを見て「この人(元彼)は俺の言いたいことを言ってくれててスッキリするし信頼できる」と思ったのかもしれません。

岡和田さんは岡和田さんで、私に直接言うと角が立つから、この人の彼氏に言おうと思ったのかもしれませんが……その彼氏がDV男だったのですよね。結果として「私を嫌う男同士の連帯」が生まれてしまいました。

私達はなんだかお互いをどうしても傷つけ合ってしまいます。

彼への執着を捨てられない私がおかしいのだろうか、ちょっとのことでで傷つきすぎなのかな、と今でも悩んでいますが、彼が公式サイトに書いたとある記事に、私は息を呑みました。

Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)

2017年10月31日の記事

「2013年11月のイベントに関した佐藤亜紀氏による中傷についての反論」

https://akiraokawada.hatenablog.com/entry/20171031/p1

この記事や関連ツイートを読んでも、詳しいことはよく分かりませんが、私がこれらの内容をどう解釈したかをここに書きます。

佐藤亜紀さんという作家の方が、2013年11月16日にパスカルキニャールという作家を招いた講演会「パスカルキニャールを読む日本の作家」に出た時、岡和田さんの司会ぶりが不満だったそうです。

佐藤さんはイベント直後の2013年11月17日に、岡和田さんに対して満足した様子のメールを送っていますが、その時点では本当の気持ちは言えていなかったのかもしれません。

しかし、2017年9月26日10:51付のツイートで、佐藤さんはこう述べています。

「だけど、結構尊敬していて、実際に会って話もしていて、ある程度の相互理解があると思った翻訳家の方が、新潮のセクハラ野郎どもにすり寄って揉手しながら、あれは駄目です内面の必要が感じられない、と尻舐めしていたと聞いた時の衝撃な。岡和田晃と言い誰と言い彼と言い、卑しい人間しかいない」

https://twitter.com/jenaiassez/status/912494729832554497?t=bYxDPkZHPIm3rAU2IBa22Q&s=19

これは岡和田さんの言うような「罵倒」「事実無根の中傷」ではなく、時を経てやっと心の深層から掘り出された佐藤さんの本音ではないでしょうか。または、「あのときのことを改めて思い返したら、いろいろと不満が湧いてきた」ということかもしれません。真相は佐藤さんにしか分かりませんが。

まあとにかく、2013年11月のイベントの録音データを岡和田さんと佐藤さんが二人揃って聴くことができたら、少しは解決に向かうのではないかと思います。でも佐藤さんは岡和田さんのことをもう諦め切っているかもしれません。

性暴力でもパワハラでも何でもそうですが、被害を訴えた方の言うことを「嘘つき」と見なす男性は、残念ながらどこにでもいます。

元彼もそうでした。私が元彼に「あなたにこうこうこういうキツいことを言われて傷ついた」と訴えても、元彼は「そんなん言うたっけ?」と言って、私を混乱させました。そうやってこちらの主張する事実を否定されたら、「私がおかしいのかな?」と不安な気持ちになります。

岡和田さんも元彼も、自分が絶対に正しいと思っているのかもしれません。そして「あなたの訴えるようなような事実はない」と主張し、人を嘘つき扱いし、威圧して屈服させようとするのです。

彼らは自分以外の人間がどんなふうに世界を見ているのか、あまりきちんと認識できていないのかもしれません。認識できないまでも、「この人はどんなふうに世界を見ているのだろう?」と興味を持って、相手の靴を履くことが苦手なのかもしれないな、と思います。

私もそういう想像力が働かず、岡和田さんの娘さんのイマジナリーフレンドの文字情報を無断転載することで、実質娘さんを見世物にしてしまいました。申し訳なく思っています。

なので私が悪くないというわけではないのですが、果たして岡和田さんが絶対に善いと言えるのだろうか、と迷っています。

まあこういうことはお互いに赦し合って、曖昧なままでもいいや、忘れちゃえ、と気楽に生きるのがいいのかもしれません。

でもそうしたらなんだか、被害を訴えながらも嘘つき扱いされている佐藤さんが浮かばれない気がするのです。

本当に今でも迷っています。心がぐちゃぐちゃです。岡和田さんへの憎しみや恨みを克服する苦肉の策として、一時彼に過剰に萌え、「推し活」「献金」と称して彼の本を買い、彼を神として崇拝し、「世界は岡和田さんのためにある。私はただひれ伏すのみ」と独りごち、彼に苦し紛れのラブレターを送るほど、私は病んでしまいました。

こうしてブログに未練を書いているのも、狂った所業かもしれません。

私は本当に、どうしたらいいのか分からないのです。私と岡和田さんの間に起こったことや、その後私が体験したことを、どうやって解釈したらいいのか分からないのです。

解釈なんか無理やりしなくていい、あいまいでいいよ、と思ったほうが楽なのかもしれませんが、いつまでも宙ぶらりんです。宙ぶらりんに耐える能力のある人が成熟した人間なのでしょうか。もう分かりません。

 

これは誰の責任なのでしょうか。

責任者などいないのでしょうか。

私は忘れっぽく鈍感であることが大切なのでしょうか。

そうすれば安全に生きられるのでしょうか。

彼は私との悶着で精神を病んでいるのでしょうか。それさえ分かりません。そういう曖昧な状態に死ぬまで耐えねばならないのでしょうか。

もういい、忘れられないなら仕様がありません。そんな割り切れない自分を受け入れてよしよしすることが一番大切なのかもしれません。

今は非常に精神が不安定なので、この記事も非公開にしたり公開したりを繰り返すかもしれません。申し訳ありません。

 

2023.8.17追記

岡和田さんについて考えた結果、彼は非常に排他的で感情的で理不尽な人であるという結論に達しました。そしてこのような人物にこだわるのは愚かだと気づきました。

彼は自分の仲間にはとても愛嬌を振りまきますが、私のようなよそ者、友達でもないのに突然反対意見を述べる者には非常に機械的な冷たい話し方をします。

彼からはムラ社会のノリを強く感じてしまいます。ムラの掟を破った私は、彼からしたらたまらなく鬱陶しい存在でしょう。

岡和田さんの容赦ない対応に苦しむ私を見た元彼は、「岡和田さん、ほんまはええ人なんやけどな」とよくつぶやいていました。私の燃えるような苦しみを目の当たりにしながらも、「岡和田さんは敵に回したくない」とも言っていました。

元彼が岡和田さんを「いい人」と言えるのは、元彼が岡和田さんに仲間として認識されているからです。ただそれだけの話なのです。岡和田さんは仲間に優しいけれども、「よそ者」や「どうでもいい人」には驚くほど冷たいです。どうでもいい人への態度こそがその人の本当の性格なのだとしたら、岡和田さんは本当はとても冷たい人ではないでしょうか。

私にDVと洗脳をした元彼さえも「岡和田さんは敵に回したくない」と言っているのですから、岡和田さんはきっと人を威圧して屈服させて生き延びてきた人なのだろうなと思います。元彼も私を威圧して屈服させた乱暴な男ですが、彼さえも岡和田さんを恐れているのですから、とんでもないお方なのでしょうね。

そういう威圧的な人間の側にいられるのは、権威にへいこらする人間やおとなしい人間だけです。岡和田さんはきっと報いを受けるでしょう。被害を訴える人を鬱陶しがり、未解決の問題をずっと放置しているのですから。

しかし、彼の詩や評論は素晴らしいです。弱い立場の人に寄り添い、権力を撃つ力に溢れています。正直彼の顔も美しい野獣みたいで好きです。だからこそ、私は彼の理不尽で排他的な対応が許せません。権力と戦う側もまた権力者になって人を威圧しているのが耐え難いです。

彼のツイッターやFBからは掃き清められたような雰囲気を感じますが、それは私のような人間を徹底的に排除して作られる清さであり、このような清さ、優生思想や排他主義から生まれる清さと、私は徹底的に闘っていかねばならないのだと思います。

彼は「菅沼さんに対して無視という名の拒絶をしたのに絡まれ続けて嫌だった」と元彼に語っていましたが、それは発達障害者に対して定型発達者並のコミュニケーション能力を求める乱暴な行為です。

彼は娘さんのイマジナリーフレンドに関する文字情報(FB全体公開投稿)を私に無断転載されたら、私に絶縁宣言するほど怒ったのに、娘さんの顔写真を含むネット記事を他人にツイッターでシェアされても全く怒らず、むしろいいねとリツイートをして、感謝を表していました。

娘さんの文字情報よりも顔写真のほうが、ロリコンのオナペットにされやすいのではないでしょうか。ロリコンの人たちにも恋愛の自由はあると思いますが、娘さんを襲いたくなる人たちもいるかもしれません。

彼のような親御さんのせいで、私のセキュリティ意識が育たず、無断転載をしてしまったとも言えます。

娘さんをオナペットや性犯罪被害者にしたくないなら、娘さんの情報を全体公開で載せるべきではないと考えます。それなのに彼は載せ続けていますから、いつか娘さんにプライバシー侵害で訴えられるかもしれません。実に危なっかしい親御さんです。

私は岡和田さんへの手紙で「娘さんの情報を無断転載して申し訳ありませんでした」と詫びたのに、彼は一切私に詫びていません。私のことをどうでもいいと思っているのでしょうか。

こういう排他的で感情的で理不尽な人間に感想を送って、彼に媚を売るということ自体が、彼に嘘つき扱いされて苦しんでいる作家の佐藤亜紀さんへの裏切りであると気づきました。

佐藤さんと連帯するためにも、私は岡和田さんと心理的距離を置こうと思います。もう彼に感想は出したくありません。実に馬鹿らしいです。

 

こんなことを書いたら「あなたは岡和田さんの世界改善運動を邪魔するのか」「今は左翼で一致団結して自民党と闘うときなんだから、少しの不満は我慢しろ」と批判が来そうです。そういう態度こそ理不尽を温存し未解決のまま引き継がせるのですがね。

岡和田さんと面と向かって話したいと思うこともありますが、そのようなことをする資格が私にあるのか、果たしてそこまで漕ぎ着けることができるのか、話したところで解決するのかという疑問があります。

こちらが諦めて黙っていればいいのかもしれません。でも、あと何回黙らされたらいいのでしょうか。あと何回屈服して、あと何回こういう苦しみを舐めれば、解放されるのでしょうか。

 

もうこんなのはたくさんです。

 

2024.5.1追記

この記事は昨年末頃から非公開にしていましたが、非公開にしているのが本当に良いことなのか迷い、一旦公開することにしました。

私と同じような苦しみを舐めている人はたくさんいると思うからです。

ところで最近は、しぐれういさんの『粛聖‼ ロリ神レクイエム☆』を聴きながら、自分が岡和田さんに粛清される様子を妄想してニヤニヤしています。とんだ変態ですが、変態にならないと生きていけないほど私は参っているのです。

https://youtube.com/watch?v=Ci_zad39Uhw&si=r-MXeY0nxqFBq3dI

 

ところで、2024年1月、私は元彼にメールして、岡和田さんが元彼宛に送ったメッセージを見せてほしいと頼みました。元彼から送られてきたメッセージのスクショには、岡和田さんが極めて冷静に、快刀乱麻を断つように、私というネット通り魔を成敗する様子が描かれていて、傷つきつつも感服しました。

岡和田さんの人間関係において、優秀なのは当たり前であり、彼のそばにいられるのは優秀な人だけなんだな、としみじみ思います。

これは能力差別とも言えそうですが、学者や知識人の世界とはそういうものなのだろうな、と辛い気持ちです。差別と闘う側の人でさえもこうなのですから、絶望的な気分になります。

 

すがぬまあゆみへ、

おまえがうちこんでいる虚無には、

いったいどんな意味があるの?

ねえ、教えてよ、晃、

ぜんぜぇーんわかんないんだ!