明るい傘 菅沼亜由美のブログ

閲覧注意 NSFW ASD/ADHD/HSP 昔やっていたサイトの続きみたいなものです。意味のないことばかり書いています。

某評論家氏の容赦なさについて

(今から書く話は私の中ではまだ終わっていません。現在進行形です。個人的な感想を未整理のまま書きましたのでご寛恕下さい。生きていくうちに思想が変わったらまた別記事にまとめるかもしれません)

 

こんにちは。

文芸評論家のO氏との間にあったことを語っておこうと思います。彼は私の迷惑行為に対して正当防衛しただけなのですが、彼の容赦ない対応について語らずにはいられないほど、私は傷ついて、心がぐちゃぐちゃになっています。

同じく彼に冷たくされた作家のS氏のためにも、彼のB面を書き残しておきたいのです。私が救われなくてもあの人だけは救われてほしいと思うのです。

この記事を書く上で過去のスクショや文章のアーカイブスマホやパソコンで調べましたが、間違いがあるかもしれません。見つけ次第訂正していきます(この際参考にしたデータの中には、2023年8月にスマホを修理に出した際に消えてしまったデータもあります)。

 

O氏は、私から、ネット上での鬱陶しい絡みと、プライバシー侵害、無断転載、ストーキングを受けました。

そして私は、それを理由に彼から間接的に絶縁宣言され、精神を病み、彼への執着を捨てきれず、彼にしつこく手紙やメールを出してしまっている者です。ストーカーとして糾弾されても仕方がありません。本当に恥ずかしいです。

O氏を知ったのは、当時別居しながら付き合っていた元彼の友人のT氏のFB投稿のコメント欄を見たときでした。初めて見たときからO氏には興味を惹かれていました。なんだか難しいコメントが多かったですが、薫り高い文章を書く人だなあと思いました。

元彼はO氏ともT氏とも面識があり、FB友達でした。3人は「アイヌの人権活動」というキーワードで繋がっており、O氏とT氏は有名な反差別文集の執筆陣に名を連ねています。

そして元彼は、アイヌ民族への差別を批判する研究会を主催したことがあります。

私は、2020年の秋か冬に、T氏への友達リクエストが承認され、FB友達になりました。彼は右も左も分からない私にとても優しく辛抱強く接してくださり、今でも感謝の念が絶えません。本当にありがとうございます。

 

O氏と私のファーストコンタクトは確か、2021年10月16日のことでした。スマホのスクショを調べた結果、10月16日頃と推測されます。

彼は、自身がフェイスブック上に載せていた「性的指向性的嗜好の混同は大きな問題である」という内容の公開投稿に、友達でもない私に突然「性的指向性的嗜好って一緒じゃないんですか?」と踏み込んだ内容のコメントをされてびっくりしたそうです。

私はO氏やそのお仲間たちにヘイターと勘違いされ、「性犯罪と闘う彼の社会改善運動を邪魔するのか」などときつい態度を取られましたが、元彼が「この人(私)は俺の連れ合いです」とコメントしてその場を執り成してくれたことでなんとか場が収まりました。

元彼からは「友達ちゃう人のとこにコメントするときは、『横から失礼します』とか、『誰々の友達の〇〇です』って言いや」とアドバイスされました。

ちなみに書いておくと、「性的指向」とは同性愛、異性愛両性愛全性愛、無性愛の類です。そして「性的嗜好」とは、SM、リョナ、小児性愛(子供への性愛)、犯罪性愛(犯罪者や残酷な人への性愛)、動物性愛(動物への性愛)、死体性愛(死体への性愛)、人形性愛(人形への性愛)の類です。

よく「指向」と「嗜好」は別々とされていますが、私は別々にする理由が未だに分かりません。どちらも要するに「誰を好きになるか」「どんな人を好きになるか」ということなのに。

性的指向は変わらないけど性的嗜好は変わる」という言説もありますが、「昔は同性愛傾向が強かったが年取ったらそれが薄れてきた」という人もいます。また、「思春期の頃はロリコン傾向が強かったが今は薄らいできた」という人もいます。

性的嗜好性的指向も変わりうるのです。しかしだからといって強制的に変えてはなりません。また、どんな性的好みであっても、性暴力が起きないように適切な欲望の処理の仕方を学ぶことは大切です。ロリコンならラブドールやアニメ、生成AIなどで発散したほうが、幼女を襲わずに済みます。でもエロアニメの真似をして性犯罪をする人もいるので難しいです。

数年前にFBで自分の性的嗜好(犯罪性愛)をカムアウトしたとき、O氏とは別の方に「ただの趣味でしょ」「セクマイじゃないよ」と言われたときは本当にムカつきました。性的指向性的嗜好を分けるからそんな発言ができるのではないでしょうか。人の性的好みを侮辱することは許されません。

私は犯罪者特有の「強者のオーラ」に惹かれたり、犯罪者が罪を犯すまでの悲しい事情に同情して好きになります。それは決して「趣味嗜好」などという軽いものではなく、生き方そのものです。

 

O氏とのファーストコンタクトの後、私はT氏のFB投稿に寄せられたO氏のコメントに返信してもことごとく無視されるので、おかしいなと感じていました。

今考えたら、無視された時点でこちらからブロックすればよかったのです。向こうは私を嫌がっているわけですし、こちらから黙ってブロックしてしまえば、安全にフェードアウトできたはずです。それなのにそうしなかったのは、私の執念深さ故の失敗です。

ただ、ああして無視されるだけでは、私を拒否しているのか、忙しいだけなのかよくわかりません。まあ私は、事実が曖昧でも事情を「察して」、話しかけないようにすべきだったのです。

 

しかし2022年2月10日、私はO氏の返事が欲しくて欲しくてたまらなくなり、彼のFB投稿をどんどん見て、いいねして、コメントを書いたりしました。

私は彼が自分の娘さんのイマジナリーフレンドに関してFB公開投稿に記していたのを見つけたので、同じくイマジナリーフレンド保持者である私は強く興味を惹かれました。

それで同じ日、娘さんのイマジナリーフレンドに関する2つの投稿のリンクを、自分のFB投稿に無断転載しました。そしてその翌日未明、私がやっていた犯罪性愛に関するブログにも転載しました。

ちなみにそのブログは現在非公開にしています。今の自分の価値観では到底許容できない記事のオンパレードですので……。

FB投稿の方には、「友達の友達の娘さん」と、O氏の娘さんのことはぼかして書いていましたが、ブログに転載する際に調子に乗って情報露出欲を出してしまい、「友達の友達・〇〇さんの娘さん」と実名を出してしまいました。本当に申し訳なく思っています。

2023年6月24日現在、転載した2つのリンクのうち2つ目は見られますが、1つ目は見られません。

転載した時点では全く悪いとは感じていませんでした。公開投稿だし大丈夫だろう、という感じです。

そしておそらく同じ日、私は彼から何らかの良いリアクションが欲しくて、彼に友達リクエストさえ送信しました。彼がプロフィールに「友達リクエストを申請していいのは読者の方か、実際にお目にかかったことのある人だけです」と書いていたのを無視して……。

こうして、彼の本の読者でもなく面識もない私は彼に友達リクエストを送り、容赦なくブロックされました。ブロックされたのを確認したのは2022年2月20日です。

ブロックされた直後は大泣きしました。彼がこの世から消えたらいいのに、と思うほどでした。

 

そして傷はなかなか癒えず、2022年7月29日頃、私はO氏のnoteのプロフィールにアクセスし、「クリエイターへのお問い合わせ」機能を使って、「あなたは私という障害者に対する配慮がなさすぎます。謝罪してください」と逆ギレメールを送りました。下書きは前日の28日にスマホのドキュメントアプリに保存していました。

そしてその日のうちに、O氏は元彼のメールアドレスに文章を送ってきました。私に送らず元彼に送るというのが、私に対する徹底的な嫌悪を表しています。そして元彼がO氏のメールを私のメッセンジャーに転載して見せてくれました。

そこにはこう書いてありました。

 

あなたの彼女に絡まれてウザかったこと。

あなたの彼女を無視していたのは拒絶の意思表示だったのに、無視されて絡まれ続けて嫌だったこと。

あなたの彼女が悪意のない犯罪性愛者であることは分かるが、娘のプライバシーに関わる投稿を犯罪性愛に関するサイトに無断転載されたことで、娘を「犯罪」や「性愛」に結び付けられ、それが決定的に嫌だったこと。

あなたの彼女にも良いところがあればブロックしなくて済むのだが、彼女のブログを見てもいいと思える記事が一切なかったこと。

そして、これは許すとか許さないの話ではない、もう絶縁する。

 

私は真夏の路上でその文章を読んだのですが、読み終わった途端発狂しました。足を動かすのも辛く、家に帰るのも一苦労でした。

元彼は半狂乱になっている私にこう言いました。

「O、あんたにきついけど、あれが普通ちゃうかな」

私をここまで苦しめる人が「普通」だなんて、酷すぎます。苦しむ人を目の前にして、一体何を言っているのでしょうか。自分が言われたらどう感じるか考えてみるべきです。

でもまあO氏は極めて冷静に私への絶縁宣言を書いたのかもしれませんし、私が彼を先に苦しめたのですから、報いを受けて当然です。どんなに辛くても耐えて努力しなければ、一人前になれません。

そして翌日の7月30日頃、元彼はO氏からもう一通メールをもらいましたが、元彼は「内容がきつすぎるから見ん方がええ」と言って見せてくれませんでした。

その代わり、元彼は内容をかいつまんで話してくれました。

「もっと本を読め。人と交流しろ。場の雰囲気を読め。ニーチェの言う『虚無』に向かい合っているという点では、私もあなたの彼女も同じである」

私はO氏のことをただただ鬼のような人と思っていたので、案外優しい言葉をかけられて嬉しかったです。

「O氏も鬼やないんやな」と私が元彼に言うと、元彼は、「Oに失礼やぞ。Oに言うたるわ」と怒っていました。

そして元彼は、「Oにはあんたが傷ついとったこと言うたるわ。あんたという発達障害者に対する配慮がない」と言いましたが、私は「二次加害になるからやめて」と制しました。

いくら私が発達障害とはいえ、悪いことをしてもきつく怒らないのは却って差別と言えます。障害者だからといって甘やかさないのが本当に平等な接し方であると、O氏は考えたのかも知れません。

 

少なくとも7月29日と30日は、元彼は私の家にいましたが、7月31日、元彼は私の家でなく自分の家にいました。私達はお互いの家を行き来しあっていたのです。

31日昼にメッセンジャーで「俺の家に来い! スマホ(あるいはパソコンか)のこと分からんから教えろ!」としきりに要求する元彼に、私は強い嫌気が差しました。私は彼にこれ以上搾取されたくなくて、メッセンジャーで「他の人に聞いて。あんたはDV男や」という旨の宣告をし、こちらからブロックして絶縁しまいました。

 

それからも私はフェイスブックを続けていましたが、O氏がT氏の投稿にコメントしていても、ブロックされているので彼のコメント内容が見られません。

「コメント1件」と表示されているのに内容が見られないとき、私は発狂して死にそうになりました。

なので私は辛さが限界に達して、2023年1月にフェイスブックのアカウントを一時的に削除しました。

一時T氏やアイヌにさえも、O氏に対する加害のトラウマが飛び火したので、精神科医によるトラウマ療法が必要ではないかと感じています。

 

ここまで長々と愚痴ってきましたが、O氏は被害者なのですからガンガン怒って当然です。

加害者である私を思いやってやる義務などありません。

いくらこちらが加害のトラウマで死にそうでも、逆ギレしたり思いやりを求めたりするなど論外です。

しかしまあ、私でなく元彼にメールを送るというのは、陰口に思えます。O氏は私を「ことばのつうじないひと」として見下しているのではないかと思いましたが、加害者と直接話すのは危険なので当然と言えます。

元彼がよくFB上で私のことを「関係ないコメントするな! 今すぐ消せ!」と叱りつけていたので、もしかしたらO氏はそれを見て「この人(元彼)は俺の言いたいことを言ってくれててスッキリするし信頼できる」と思ったのかもしれません。

O氏はO氏で、私に直接言うと角が立つから、この人の彼氏に言おうと思ったのかもしれませんが……その彼氏がDV男だったのですよね。結果として「私を嫌う男同士の連帯」が生まれてしまいました。まあO氏は元彼によるDVなど知らなかったので仕方ありませんが。

私達はなんだかお互いをどうしても傷つけ合ってしまいます。

彼への執着を捨てられない私がおかしいのだろうか、ちょっとのことで傷つきすぎなのかな、と今でも悩んでいますが、彼が公式サイトに書いたとある記事に、私は息を呑みました。

https://akiraokawada.hatenablog.com/entry/20171031/p1

 

記事や関連ツイートを読んでも、詳しいことはよく分かりませんが、私がこれらの内容をどう解釈したかをここに書きます。

S氏という作家の方が、10年ほど前、とある講演会に登壇した時、O氏の司会ぶりが不満だったそうです。

S氏はイベント直後にO氏に対して満足した様子のメールを送っていたそうですが、その時点では本当の気持ちは言えていなかったのかもしれません。あるいは、その時点ではそのメールが本当の気持ちだったのかも知れません。

S氏によるツイートはO氏の言うような「罵倒」「事実無根の中傷」ではなく、時を経てやっと心の深層から掘り出された、S氏の本音ではないでしょうか。または、「あのときのことを改めて思い返したら、いろいろと不満が湧いてきた」ということかもしれません。真相はS氏にしか分かりませんが。

まあとにかく、2013年11月のイベントの録音データをO氏とS氏が二人揃って聴くことができたら、少しは解決に向かうのではないかと思います。でもS氏はO氏のことをもう諦め切っているかもしれません。

しかし、肝心の音声データは今も公開されていません。今彼によると、「O氏に都合の悪い内容だから公開しないのではないか」とのことです。

性暴力でもパワハラでも何でもそうですが、被害を訴えた方の言うことを「嘘つき」と見なす人は、残念ながらどこにでもいます。

元彼もそうでした。私が元彼に「あなたにこうこうこういうキツいことを言われて傷ついた」と訴えても、元彼は「そんなん言うたっけ?」と言って、私を混乱させました。そうやってこちらの主張する事実を否定されたら、「私がおかしいのかな?」と不安な気持ちになります。

O氏も元彼も、自分が絶対に正しいと思っているのかもしれません。そして「あなたの訴えるようなような事実はない」と主張し、人を嘘つき扱いし、威圧して屈服させようとするのです。

彼らは自分以外の人間がどんなふうに世界を見ているのか、あまりきちんと認識できていないのかもしれません。認識できないまでも、「この人はどんなふうに世界を見ているのだろう?」と興味を持って、相手の靴を履くことが苦手なのかもしれないな、と思います。

私もそういう想像力が働かず、O氏の娘さんのイマジナリーフレンドの文字情報を無断転載することで、実質娘さんを見世物にしてしまいました。申し訳なく思っています。

なので私が悪くないというわけではないのですが、果たしてO氏が絶対に善いと言えるのだろうか、と迷っています。

O氏は娘さんのイマジナリーフレンドの名前をFBの全体公開投稿に書いていましたが、もし私が自分のイマジナリーフレンドの名前を親のSNSに全体公開で書かれたら激怒するでしょう。

O氏は娘さんの同意を取ったうえでイマジナリーフレンドの名前を書いたのかどうか、気になります。

いや、でも、幼い子供は、自分のイマジナリーフレンドの名前を全世界の人に見られるというのがどういうことか、ちゃんと理解してないと思うので、O氏は娘さんに対してとても失礼なことをしていると思います。

その情報を無断転載した私も責められるべきですが、子供のプライベートを全世界に晒す親も親で、問題があると思います。この件については娘さんが一番の被害者だと思います。

 

まあこういうことはお互いに赦し合って、曖昧なままでもいいや、忘れちゃえ、と気楽に生きるのがいいのかもしれません。

でもそうしたらなんだか、被害を訴えながらも嘘つき扱いされているS氏が浮かばれない気がするのです。

本当に今でも迷っています。心がぐちゃぐちゃです。O氏への憎しみや恨みを克服する苦肉の策として、一時彼に過剰に萌え、「推し活」「献金」と称して彼の本を買い、彼を神として崇拝し、「世界はOさんのためにある。私はただひれ伏すのみ」と独りごち、彼に苦し紛れのラブレターを送るほど、私は病んでしまいました。

こうしてブログに未練を書いているのも、狂った所業かもしれません。

私は本当に、どうしたらいいのか分からないのです。私とO氏の間に起こったことや、その後私が体験したことを、どうやって解釈したらいいのか分からないのです。

解釈なんか無理やりしなくていい、あいまいでいいよ、と思ったほうが楽なのかもしれませんが、いつまでも宙ぶらりんです。宙ぶらりんに耐える能力のある人が成熟した人間なのでしょうか。もう分かりません。

 

これは誰の責任なのでしょうか。

責任者などいないのでしょうか。

私は忘れっぽく鈍感であることが大切なのでしょうか。

そうすれば安全に生きられるのでしょうか。

彼は私との悶着で精神を病んでいるのでしょうか。それさえ分かりません。そういう曖昧な状態に死ぬまで耐えねばならないのでしょうか。

もういい、忘れられないなら仕様がありません。そんな割り切れない自分を受け入れてよしよしすることが一番大切なのかもしれません。

今は非常に精神が不安定なので、この記事も非公開にしたり公開したりを繰り返すかもしれません。申し訳ありません。

 

2023.8.17追記

O氏について考えた結果、彼は非常に排他的で感情的で理不尽な人であるという結論に達しました。そしてこのような人物にこだわるのは愚かだと気づきました。しかし、彼の反差別活動は大いに評価します。

彼は自分の仲間にはとても愛嬌を振りまきますが、私のようなよそ者、友達でもないのに突然反対意見を述べる者には非常に機械的な冷たい話し方をします。

彼からはムラ社会のノリを強く感じてしまいます。ムラの掟を破った私は、彼からしたらたまらなく鬱陶しい存在でしょう。

O氏の容赦ない対応に苦しむ私を見た元彼は、「Oさん、ほんまはええ人なんやけどな」とよくつぶやいていました。私の燃えるような苦しみを目の当たりにしながらも、「Oさんは敵に回したくない」とも言っていました。

元彼がO氏を「いい人」と言えるのは、元彼がO氏と面識があり、彼に仲間として認識されているからでしょう。ただそれだけの話なのです。

O氏は仲間に優しいけれども、「よそ者」や「どうでもいい人」には驚くほど冷たいです。どうでもいい人への態度こそがその人の本当の性格なのだとしたら、彼は本当はとても冷たい人ではないでしょうか。

私にDVと洗脳をした元彼さえも、O氏を「敵に回したくない」と言っているのですから、O氏はきっと人を威圧して屈服させて生き延びてきた人なのだろうなと思います。元彼も私を威圧して屈服させた乱暴な男ですが、元彼さえもO氏を恐れているのですから、とんでもないお方なのでしょうね。

私はO氏と共通の知り合い数人と交流があるのですが、どの方も「Oさんは正直あまり好きじゃないけど、揉めると面倒だから距離を置いている」という旨のことを仰っていました。

そうか、この人は大目に見てもらっているんだ、幸せな人だな、と思いました。

彼の側にいられるのは、彼にへいこらする人間やおとなしい人間だけです。O氏はきっと報いを受けるでしょう。被害を訴える人を鬱陶しがり、未解決の問題をずっと放置しているのですから。

まあ私のような怨霊から逃げ切って無事天国にゴールインすることもありえますが。

しかし、彼の詩や評論は素晴らしいです。弱い立場の人に寄り添い、権力を撃つ力に溢れています。正直彼の顔も美しい野獣みたいで好きです。だからこそ、私は彼の理不尽で排他的な対応が許せません。権力と戦う側もまた権力者になって人を威圧しているのが耐え難いです。

彼のツイッターやFBからは掃き清められたような雰囲気を感じますが、それは私のような人間を徹底的に排除して作られる清さであり、このような清さ、優生思想や排他主義から生まれる清さと、私は徹底的に闘っていかねばならないのだと思います。

O氏は「菅沼さんに対して無視という名の拒絶をしたのに絡まれ続けて嫌だった」と元彼に語っていましたが、それは発達障害者に対して定型発達者並のコミュニケーション能力を求める乱暴な行為です。

しかしもう私は大人なのでそのくらいのコミュ力は要求されて当然かも知れません。そういう最低限のコミュ力さえないならネットをやめろ、とも言えます。

O氏は娘さんのイマジナリーフレンドに関する文字情報(FB全体公開投稿)を私に無断転載されたら、私に絶縁宣言するほど怒ったのに、娘さんの顔写真を含むネット記事を他人にツイッターでシェアされても全く怒らず、むしろいいねとリツイートをして、感謝を表していました。

娘さんの文字情報よりも顔写真のほうが、ロリコンのオナペットにされやすいのではないでしょうか。ロリコンの人たちにも恋愛の自由はあると思いますが、娘さんを襲いたくなる人たちもいるかもしれません。

彼のような親御さんのせいで、私のセキュリティ意識が育たず、無断転載をしてしまったとも言えます。

娘さんをオナペットや性犯罪被害者にしたくないなら、娘さんの情報を全体公開で載せるべきではないと考えます。それなのに彼は載せ続けていますから、いつか娘さんにプライバシー侵害で訴えられるかもしれません。実に危なっかしい親御さんです。

私はO氏への手紙で「娘さんの情報を無断転載して申し訳ありませんでした」と詫びたのに、彼は一切私に詫びていません。私のことをどうでもいいと思っているのでしょうか。まあ私が先に悪いことをしたので、彼が私に謝る必要などありません。

O氏のような、排他的で感情的で理不尽な人間に、彼の作品の感想を送って、彼に媚を売るということ自体が、彼に嘘つき扱いされて苦しんでいる作家のS氏への裏切りであると気づきました。

S氏と連帯するためにも、私はO氏と心理的距離を置こうと思います。もう彼に感想は出したくありません。実に馬鹿らしいです。

 

こんなことを書いたら「あなたはO氏の世界改善運動を邪魔するのか」「今は左翼で一致団結して自民党と闘うときなんだから、少しの不満は我慢しろ」と批判が来そうです。そういう態度こそ理不尽を温存し未解決のまま引き継がせるのですがね。

O氏と面と向かって話したいと思うこともありますが、そのようなことをする資格が私にあるのか、果たしてそこまで漕ぎ着けることができるのか、話したところで解決するのかという疑問があります。

いやそれは完全にストーキングなのでやめるべきです。

こちらが諦めて黙っていればいいのかもしれません。でも、あと何回黙らされたらいいのでしょうか。あと何回屈服して、あと何回こういう苦しみを舐めれば、解放されるのでしょうか。

 

もうこんなのはたくさんです。

 

2024.5.1追記

この記事は昨年末頃から非公開にしていましたが、非公開にしているのが本当に良いことなのか迷い、一旦公開することにしました。

私と同じような苦しみを舐めている人はたくさんいると思うからです。

ところで最近は、しぐれういさんの『粛聖‼ ロリ神レクイエム☆』を聴きながら、自分がO氏に粛清される様子を妄想してニヤニヤしています。とんだ変態ですが、変態にならないと生きていけないほど私は参っているのです。

https://youtube.com/watch?v=Ci_zad39Uhw&si=r-MXeY0nxqFBq3dI

 

ところで、2024年1月、私は元彼にメールして、O氏が元彼宛に送ったメッセージを見せてほしいと頼みました。元彼から送られてきたメッセージのスクショには、O氏が極めて冷静に、快刀乱麻を断つように、私というネット通り魔を成敗する様子が描かれていて、傷つきつつも感服しました。

O氏の人間関係において、優秀なのは当たり前であり、彼のそばにいられるのは優秀な人だけなんだな、としみじみ思います。

これは能力差別とも言えそうですが、学者や知識人の世界とはそういうものなのだろうな、と辛い気持ちです。差別と闘う側の人でさえもこうなのですから、絶望的な気分になります。

 

すがぬまあゆみへ、

おまえがうちこんでいる虚無には、

いったいどんな意味があるの?

ねえ、教えてよ、おれ、

ぜんぜぇーんわかんないんだ!

 

2024.7.8追記

Oさんが私のことを「障害者だから」嫌っているのは明らかです。

彼がわざわざ「(菅沼を嫌うのは)障害とは関係ない」と言ったのは、その後ろ暗い差別心を巧みに隠すためではないでしょうか。

しかし、私がOさんに「私を嫌うな」と言ってしまったら、彼の内心の自由や、思想信条の自由を侵害します。

人権活動家であっても、汚いものを抱えた一人の人間なのですから、そりゃ差別もします。

期待しないほうがいいと思いました。

 

2024.11.5追記

O氏が私にきつくする理由について一つの仮説を立てました。O氏はS氏にきつくされた傷を癒すために、私にきつくしているのではないかということです。

こんな言い方をしたら良くないですが、O氏目線で言えば「攻撃者との同一化」というわけです。

O氏とS氏のトラブルについては、S氏に理があると思いますが、O氏にたいするS氏の態度は非常に容赦ないものです。なので、その容赦なさが伝染していったのかなと思います。

恐ろしい気持ちになりました。S氏もO氏も私も、それぞれに死ぬほどの傷を抱えていて、今も癒されないままなのです。

O氏はS氏から受けた傷を癒やすために私を利用しているのではないでしょうか。共依存と言えそうですね。

救いがなさすぎて辛いです。

でも、この連鎖は絶対私のとこで止めとかないといけないと思います。それが救いなのですから。

 

2024.11.16追記

「擬態できない発達障害者を嫌うのは、擬態できる発達障害者である」との投稿をツイッターで見ました。

O氏が発達障害かどうかは分かりませんが、O氏が私をあれだけ嫌うのは、彼自身、一生懸命擬態しているからではないかと思います。

私は擬態できないタイプなので、彼からすれば「努力しない怠け者」というわけです。

元彼も、一生懸命擬態するタイプの人でしたから、擬態できない私をよく責めました。

擬態できない、ということは、自分に嘘をつくのが苦手、ということです。それは長所でもあります。まあ、擬態できたほうが社会進出は容易いのでしょうけど。

そんなO氏も、S氏に対して迷惑電話をかけるなどのストーキングをしています。そんなO氏を見ると、「私に偉そうに説教した人も、案外ガキなんだな、かわいいな」とニコニコしてしまいます。

彼は強がる男の子です。