私は消費の対象たり得ても、理解の対象たり得ない。オリエンタリズムをずっと浴び続ける。
私が特定の誰かを死ぬほど美しいと思う気持ちや、同時にその人を死ぬほど憎んでいるということを、他の誰もが理解しない。
「おかしい人」と見做されて、「もっと他の人を好きになりなさい」と説教されたり、「おっかしいなあ!」と嘲笑されたりする。私は噛まれるだけ噛まれて、飽きられたらペッと吐き捨てられるチューインガムだ。
今彼含め、世の中の誰もが私を消費するから、私を差別しない人間を探すのは諦めたい。私だって人を性的に消費したり、無神経な説教をしてしまうことはあるのだから。
理解されないのが当たり前と思うしかないようだ。えげつない人生だな。