いろんな人にうざ絡みしてしこたまブロックされてきた。
自分の行動がどんな結果をもたらすか、ちゃんと考えないといけない。
ツイッターのOさんやYさんの投稿を見ても、なにもしないべきだったのだ。
Oさんの子供さんの投稿を見ても無断転載せず、なにもしないべきだった。Yさんが一日1000字書く修行の投稿を見ても、なにもコメントしないべきだった。たとえいたわりのコメントであっても。
彼らをそこに存在しないかのように扱い、どうせならこちらからブロックしていればよかったのだ。
私の言葉、私のリアクション、私の存在そのものが、彼らの害だから。
どんなにいいことを言っても、話している人が「私だから」だめなのだ。
「私だから」だめなのだ。
彼らが私を無化するなら、こちらも彼らを無化するべきだったのだ。そうしないと向こうから私を容赦なくブロックしてくる。ブロックは先手必勝だ。
苦しいけれど、無化には無化を返すのが礼儀。
辛いけれど、過度な優しさは破滅を招く。
もっと冷淡に、無関心にならないと、生きていけない気がした。
おせっかいは迷惑行為。
(けど私を無視してたMさんを自分からブロックしたのは褒めてあげる。いいことしたね)
……いいことなのかな……?
私は無視に無視を返しただけ。
なんの温かみもない。
いいことなのかな?
わからない。
(温かみのある親密なコミュニケーションは、内輪だけでやりたいのかもね)
気持ち悪いな。差別ちゃうん?
私、ほんまにいじめられてる気がするわ。
どんなコミュニティでもいじめられる。
出てったろか。
小学生くらいの私なら、こういうことされたら完全に「いじめだ」と信じるだろうし、滅茶苦茶怒るだろうな。
でも、今の私はこれを安易に「いじめだ」とは言えない。相手目線では「いじめ」でなく「正当防衛」である、と分かるからだ。
自分の正しさを信じて怒れるのはとても幸せなこと。でも世間に揉まれたら自分の正しささえ信じられなくなるし、堂々とできなくなる。
無視と排除に慣れすぎた。
いじめに慣れすぎた。
相手にいじめられても「しゃーないな」「こんくらい普通や」としか思えなくなる。とても鈍感になってしまった。
私が「いじめっ子」に怒ったら、相手からは「二次加害者」として糾弾される。世界の認識の仕方が違いすぎてどうにもならない。