今、アイヌの葬儀を記録したドキュメンタリー映画のセリフ書き起こしと、英訳をしている。
実は、葬儀の喪主を務めたエカシ(エカシとはアイヌ語で長老の意)に、映画の英語字幕作成を直々に頼まれ、「私がやらずに誰がやる」との精神で承諾したのだ。
その映画の監督から数年前に直接頂いたDVDを、プレーヤーで再生し、ヘッドホンを付けた耳を必死にカッ開く。
私はそうやって聞き取った日本語のセリフを大学ノートの左側のページに書き起こし、右側のページに英訳をつけた。そして、その記述を元に、パソコンのメモ帳を開き、セリフと字幕とそれらの英訳を入力している。
一日数十分の間パソコンに向かい、キーを打つだけで、私は疲労困憊だ。しかもこれが毎日できるわけではない。数週間に1回位のペースでしかやれないのだ。
まあ、最近彼氏が私のパソコンを改造して、1階の私の部屋にパソコンを設置してくれたので、作業頻度は1週間に1回ぐらいのペースにはなると思う。
それ以前は、2階の彼氏の部屋に私のパソコンがあったのだった。彼氏が転がり込んでくる前は、私は一人暮らししていて、2階の6畳間をパソコン室にしていた。なので、階段を上がるのが面倒で、作業をやりにくかった。
でも今は楽ちんだ。彼氏に感謝している。まあいろいろと理屈っぽくてだらしない男だが、パソコンにはとても強い。
こういう英訳も、AIの手にかかれば楽勝なのだろうな。私が何日もかけてやる作業を、AIは一気にやってくれるだろう。
でも、私は自分の英語力を鈍らせたくない。だから自力でやっているのだ。幼いプライドを満たすための徒労に過ぎないけれども。
でも、AIに頼ってみるのもいいかも知れない。少なくとも、文章の校正をAIに頼もうかな。
とにかく、映画の中でアイヌ文化を説明している専門家の方の著書は必読だ。
その2冊は手元にあるが、図書館で借りるなどして期限を決めないと読み切れない気がする。
今借りている本(自閉症の女の子の自伝)を読み終わったら、図書館で予約しようかな。
頼れる専門家の方のおかげで、アイヌ文化について色々なことが分かってきて、本当に感謝している。私なんぞにどうしてこんなに優しくしてくれるのか。申し訳ない。
ちなみに、私が今英訳しているアイヌのお葬式の映画は、先月下旬に大阪で上映された。私も行く予定だったが、私に暴力を振るった元彼が来るとも聞いていたし、エカシとも一時的に仲違いしてしまっていたので、結局行けなかった。
まあ、家にその映画のDVDがあるのだから、わざわざ観に行く必要はないのだけれど、DV加害者がどんどんいろんなイベントに参加できて、被害者が行動を制限されるというのは、なかなか理不尽である。
皮肉なことだが、「人権を守ろう」と叫んでいるはずの人(例えば元彼)に容赦ない暴力を振るわれ、私は人間の理不尽さを深く思い知った。人権活動家への信頼を損なわれたら、絶望せずにいられない。