明るい傘 菅沼亜由美のブログ

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ロリ神に萌えざるを得ない現実

要するに「ロリ神レクイエム」ってのは、「『悪』を容赦なく糾弾する人に屈服せざるを得ない現状を歌った歌」ではないのか?

この曲を愛好する私は、人権活動家のOさんに迷惑行為をしてしまい、彼から容赦なく糾弾・絶縁され、反発心を抱いている。

ロリコンだって、ロリータやその保護者に対して同じ気持ちを抱いているはずだ。

しかしその反発心を表出することは「二次加害」として容赦なく糾弾され、黙らされる。被害者に情けを求めても容赦なく突っぱねられる。

だから、せめてもの服属の証として、そういう「容赦ない正義」に萌えるのだ。

ロリ神レクイエムのういちゃんも、「容赦ない正義」によってロリコンを糾弾し破壊する。

ロリコンや私にとって、この曲に萌えるということは、圧政への服属に等しい。

しかし……それに対して抵抗するのはとても難しい。人権を侵害する者は罰を受けるべきだ。本来それは圧政への服属ではなく人権規範への服属であり、人として必要不可欠である。

だから私はういちゃんやOさんに萌えるしかなくなるのだ。

 

それにしても、非白人が白人に、あるいは朝鮮人が日本人に、あるいはアイヌが和人に、あるいは障害者が障害のない人に「早く消えてください」と訴える歌は存在するのだろうか。

まあ白人や和人や障害のない人より、ロリコンのほうが叩きやすいというのはわかる。

白人や和人や障害のない人が消えたら困るけど、ロリコンは消えても困らないとみなされている。世間においてロリコンは「叩いても安全なサンドバッグ」なのだ。その現実が怖い。

私が消えてもOさんは困らないだろう。彼はイベントで「障害者を殺すな!」と叫んでいたが、私のことなんてどうでもいいんだろう、と勝手に思ってしまった。

ストーカーは人権侵害者だ。「まともじゃないなら早く消えてください」と言われても仕方ないかもしれない。

そして物陰に隠れ、ロリ神動画を視聴し、ういちゃんの容赦ない言葉に「助かるーウ」と萌えるのが、人権規範への服属の意思表示なのである。

どんなに苦しくても、キレたくても、余計なことは言わず、ただニコニコしていればいい。泣きたいなら陰で泣け。それが被害者へのせめてもの償いだ。

人権侵害者は糾弾されたあと、大人しいマゾヒストにならないと生きられない。そうでないと生きさせてもらえないのだ。

こうした自分の状況をアイヌなどの被抑圧民族に重ねるのは間違っている。アイヌに罪はないが、ストーカーには罪があるからだ。人権規範にまつろわぬものは排除されるべきだ。

しかし、こうして書いてくると、私は市民社会や人権規範維持のためにどうしても苦しむ必要のある「生贄」なんだという辛い意識が湧いてくる。

でも、やはり、自分を犠牲にするのでなく、自分と同じような人たちと自助グループで繋がればいいんだと思う。そういうグループはあるだろうか。推し活に失敗したヲタクの会とか、推しに嫌われているヲタクの会がほしい。