私はかつてこのブログに「ナチヲタ界隈での被害と加害」という記事を書いた。
https://ayumikunst.hatenablog.jp/entry/2023/08/19/171321
そこで私とトラブルを起こしたナチヲタの方は、今振り返ると恐ろしいほどの策士だと分かる。
私が相手の方に「ウクライナ人を殺したロシア兵にも貧困などの事情があるのだから、彼らへの同情を禁じるような発言はやめてほしい」と言った時、もしも彼女から「私はウクライナ人と連帯するためにあえてきついことを言っただけです。トーンポリシングはおやめ下さい」とか、「私は加害者への同情が加害の事実を覆い隠すのを危惧して言ったのです。ご理解下さい」などと、自身の論理を理路整然と説明してもらっていたら、納得してサッと身を引けただろう。
しかし彼女はそんな言い方をしなかった。
「個人の感情論と法律的な意味での善悪を一緒にしないでください。それにあなたに発言を控えろと言われる筋合いはありません。私はあなたに迷惑をかけたくないですし、私自身の表現の自由も守りたいので、ブロックします」と告げて、ブロックしたのだ。
私はこのとき、彼女の鍵ツイートの内容を批判していた。他人のプライベートな投稿にまでケチを付けた私も悪いのだが、なんだかまともに取り合ってもらえてない感じがする。鬱陶しいクレーマーを追い払うような雰囲気を感じるのは私だけだろうか。
こうして彼女に追い払われた私は、黙ってコミュニティを出ていけばよかったのに、恨みを募らせて、鍵垢・DM晒しという荒っぽい仕返しをしたのだが、結局相手の方だけでなくナチヲタ界隈全体を危機に晒し、彼女に無言通報と糾弾をされ、危機に陥った。こうして私は記事を取り下げたものの、心には永遠に消えない傷が残った。
そしてその傷のせいで、ウザ絡みをしてしまった。無言通報した彼女に逆ギレして絶縁され、それ以降もマシュマロメッセージによってストーカー行為をし続けて、結局私はツイッターを去った。
そして彼女の株はどんどん上がり、彼女が勝ったような状態になっている。
彼女は本当に計算高く、いかに人を威圧して自分が勝つかをよくよく考えて行動している。私がストーカー行為によって敗残の醜を晒しているのを見て高笑いしているだろう。「思惑通りだ!」と。
彼女は本当に器用な人だ。さぞかし出世するだろうよ。私の晒し行為は糾弾されたのに、彼女が山上ガールズを蔑んでもお咎めなしだ。山上ガールズもナチヲタも同じ犯罪性愛者だし、山上ガールズはシュタウフェンベルクのファンみたいなものなんだから、仲良くすべきだと思うのだが。
彼女に「ウクライナ人を殺したロシア兵への同情を禁じる発言はやめて下さい」と言った私は、彼女に喧嘩を売ったことになるのだろうか? 別に喧嘩を売ったわけではないのだが、彼女が勝手にそう解釈しているだけかもしれない。彼女にとってブロックは「喧嘩を売ってきた相手を拒絶するための正当防衛」なのだろうか。もしかしたら私の言い方もキツかったかもしれない。
今後彼女は私のことを極悪人として語り伝えるだろう。そして他の界隈民はみなそれを信じる。強者は歴史を自分好みに書き換えるのだ。本当の歴史は少数の者しか知らない。
私はどこまでも被差別者だ。まあ私のような裏切り者はどうせまた裏切るから排除一択である。
相手の方は恫喝の仕方を学ぶためにナチの歴史を学んでいるのか??? 私との一件において彼女はナチスの手口を真似たとしか思えない。
彼女は私に対して、「別に私を批判するなとは言っていない」と繰り返したが、直に批判されてブロックするのは、真に批判を受け入れられる人とは言えない。批判は陰でやれ、とでも言うのか。陰口じゃないか。気持ち悪い。
相手の方は本当に計算高い。「自分をいかによく見せるか」「いかに組織(ナチヲタ界隈)の中で出世するか」「いかに界隈民からの評価を上げるか」を緻密に計算した上でツイートしている。
彼女が戦犯いじめツイートをするのも、戦犯を叩くのと同じくらいのパワーで岸田を叩かないのも、私が送った謝罪マシュマロメッセージを「クッソどうでもいいマシュマロ」と呼ぶのも、緻密な計算の上での行動だ。
戦犯いじめなどのキツいツイートをするのは、そうやって他のユーザーをビビらせて、「私を敵に回したらこうなるぞ」ということを暗に伝えているのではないか。
岸田を力いっぱい叩かないのは、反政府発言は界隈内で嫌われるからだ。場合によっては口論やトラブルやブロックなどの原因になる。自分の身を守るために、周囲から浮いてしまいそうな発言を控えているのだ。
また、彼女は、私からの謝罪が書かれたマシュマロメッセージを受け取った時、陰口のようにこうツイートした。
「クッソどうでもいいマシュマロが飛んできた」
「晒し加害者からの謝罪が来たけど蹴った」とは絶対に言わない。界隈民に「この人は他人の謝罪を平気で蹴る嫌な人だ」という悪印象を抱かせるからだ。「謝罪メッセージ」と言わず「クッソどうでもいいマシュマロ」と言うことで、「自分は善である」というアピールをしているのだ。
まあもしかしたら私に対して「過去のことは気にしていません」と暗にメッセージを送っているのかもしれない。気にしていないなら良かった。
彼女は絵が巧くて知識も豊富なので、それを理由に彼女をフォローする界隈民もたくさんいるだろう。本当に世渡りの上手い人だ。恐ろしい。「周囲からの自分の見え方、自分の見せ方」を熟知している。
しかし、「いかに他人からの評価を上げ、組織の中で上手く立ち回るか」を考えて行動するということは、「自分の本当の気持ちよりも他人の評価を優先する」ということである。なので彼女にも言えないことがたくさんあるだろう。たくさんたくさん我慢して、今の盤石な地位を築き上げているのだ。結局我慢強い人間が出世するということか。
「ナチスはフリー素材」という言葉の示す通り、ナチスはどれだけ叩いても基本文句を言われない。でも岸田を思いっきり叩けないのは、「正義」よりも「周りの目」を気にしている証である。
彼女は案外弱いのではないか。弱いから、ナチスを罵って自分を強く見せる必要があるのではないか。弱いから、私が彼女の発言を批判した時、こちらに反論の余地を与えないために深夜に返事して深夜にブロックしたのではないか。弱いから、私の晒し行為を糾弾する際に「ウクライナ人を殺したロシア兵への同情についてはここでは議論しない」と告げて、自分の論理の穴を隠そうとするのではないか。
弱いから策略を使うのだ。本当に強いのなら策略なしでも生きていけるはずだ。
いや、違う。こうやって策略駆使してる時点でめっちゃ強いじゃないか。
いや、策略駆使するなんてズルい。正々堂々戦ってない感じがする。武器を持たない一般市民と戦うときも銃を手放せない警官みたい。
まあ彼女は組織の中でめっちゃ出世するタイプだね。こういうタイプの人間も多様性の一部として認めなさい。もちろん自分のことも。
ナチヲタ界隈は、私という人間が絶対に勝てない場所なのだ。だから離れるしかない。いつまでも相手の方にストーカーなんかしてるから、もう私の負けは確定してしまった。バカだなあ。全部彼女の思惑通りだ。参りました。
まあ私にも何らかの強みがあるはずだ。組織に向いてない分個人では力を出せる。力を出しすぎて周りに制御される羽目にはなるだろうが。
まあ相手の方は組織人間だから、私よりもナチ要素が強い。ナチも組織だからな。ナチと同じような組織犯罪に手を染める確率は、彼女のほうが高い。まあ「自分はナチ的な犯罪をする可能性が相手の方より低い」ということで自信を持ったら良いんじゃないか? まあ組織人間も一匹狼も一長一短で、優劣はない。ただの個性。
相手の方はマイノリティになるのが怖いのだろう。だから組織の中で上手く立ち回り、自分の地位を維持するために策略を駆使する。弱い証だ。
ウクライナ人を殺したロシア兵に基本同情しない相手の方にしても、他の人にしても、彼らは私の意見を「個人の感情論」と言った。そういう彼らの言葉はというと、「血も涙もない弱い論理」である。自分の心からの深い感情、血と涙に裏打ちされていない論理は、どうしても浅く弱くなる。
ロシア兵だって貧困故に金が欲しくてやむなく人殺しをしに行っているのだから、彼らが人を殺す原因となった貧困を解決すべきだ。もちろん兵役拒否という選択肢があるのにそれを選ばないのは意志が弱いと言わざるを得ないが、兵士にならないと満足な収入が得られないというのは過酷なことだ。
どんな薄情で浅い論理でも、威圧的に言えば本当らしく聞こえる。反論の隙を与えず深夜にブロックすれば相手をひるませることができる。怖いなあ。卑怯だ。策略を使わないとやっていけないのか。弱いなあ。
まあもしかしたら相手がたまたま深夜に起きていて、深夜にブロックしただけかもしれない。
日本のツイッターにはナチスみたいな奴らがたくさんいる。相手の方は自分がナチと同じくらい卑怯で高圧的で非情な人間だと自覚しているのか? 彼女はナチスの手口を学んでるの? 私を威圧するために? ナチスの手口を理解した上で、彼らの武器庫から盗んだ武器で戦犯や私をぶちのめしているのか? 同じ武器を岸田にも使えよ。岸田こそ一番ぶっ叩くべき存在じゃないか。岸田を叩かないのは保身のためとしか思えない。卑怯すぎる。相手の方が反岸田軍に加わってドンパチやってくれればどれだけ心強いか。まあしばき隊のN氏みたいにならないか心配だけど。
彼女は愛されることよりも尊敬・畏怖されることを望んでいる。相手より上に立ちたいのだ。権力者そのものだ。だからナチが好きなんじゃないの? 権力の匂い、暴力の匂いが好きなのだ。まあ私も「権力を取りたい」とか「暴力が好き」と思うことはあるけど、その嗜好は相手の方ほど強くはないはずだ。
私みたいに、「ヒトラーの悲しい半生に同情する」「ナチへの強い恐怖を紛らわすために彼らに興奮する(半ば本能的・無意識的な反応)」なんてことはしないのかな。どうなんだろう。
私は基本的に「支配される側」で、相手の方は基本的に「支配する側」なのだろうな。
以前まで私は「出世したい」と強く思っていたが、出世するということは、相手の方と同じように様々な策略を駆使して自分をよく見せ、他人を蹴落とし、自分の地位を守るということだ。そんな卑怯な人間にはなりたくない。ならないように気をつけよう。
どうせなら「アンサングヒーロー(叙事詩に歌われず、語り継がれない英雄)」になりたい。
*
2023.9.16追記
相手の方が私を深夜にブロックし、ロシア兵への同情の是非の議論を打ち切った理由がやっと分かった。
当時の私が他人(特に元彼)の意見の受け売りばかりしていたからだ。元彼が私に自分の思想をマシンガントークして洗脳していたので、私は自分の意志や意見が持てなくなっていたのだ。
人の考えを盗むような卑怯な人間とまともな会話などできるはずがない。だから当時の私は他人から「お話にならない」とみなされても仕方がなかったのだ。
文芸評論家の岡和田晃さんとの件についてもそう。私が元彼に自発的隷従して知識の面で依存していたから、「話の通じない人」と見抜かれて、無視され続けたのだ。
https://ayumikunst.hatenablog.jp/entry/2023/06/24/161031
私が弱くて卑怯だったのは確かだ。「言葉の通じない人」とみなされ無視され対話を拒否されても仕方ない馬鹿だった。相手の方の正しさが証明された。
まあ私をこうさせた元彼はもっと悪いな。
まあ相手の方は、私の晒し行為を糾弾するDMで、「あなたは他人の受け売りしかしないから、ロシア兵への同情の是非については議論しない」とはっきり書いていた。これは卑怯者に対する普通の対応である。
けどまあ彼女がいい人とは言えない。彼女はもうツイッターでの戦犯いじめをやめないので、こちらからブロックした。
彼女には直接会ったことがないので何もわからない。そもそも彼女は会ってもくれないだろう。それなら妄想を書き散らさず黙っていろ。沈黙こそ唯一の謝罪である。多少不満があっても内輪で発散しろ。公開の場に書くな。
とにかく「嫌な人がいてもいちいち噛みつかず黙って離れる力」は世渡りのために必須だな。でも……それが世の中の問題を温存することにもつながるから、難しい。
でもとにかく、私がなんと言おうと、ナチヲタ界隈は変わらない。界隈内のルールを明文化しないし、暗黙のルールを守れない人を村八分にする。こちらから出ていくしかない。